ここ最近、かなり元気だ。それと比例するようにアトピーもひどくなっていて、毎日パジャマに血をつけている。一人暮らしのときのほうが肌の調子は良かった。生活はズタボロだったくせに。なんでだよ。

それはそうとして。現状だとおこずかいの全てを二次創作同人活動に突っ込むことになる。それはマァ楽しいから全然かまわないんだけど、欲しい本とか辞書とかが買えなくて困る。ので、労働に手を染めることを検討している。賃労働ってぜんぜんやりたくねー! 一生無職やれます、やらせてください。

地位も名誉も興味がない。余計な金にも興味がない。資本主義に向いていない。Oh,Yeah!

地位と名誉って本当にどうでもよくないですか? 眼の前のあなたにみとめて貰えれば、それで十分じゃないですか。何千、何万の評価なんか貰ったって、あなたに届かなければ意味がないんですよ。

昔、こんな文章を書いた。

信仰の勧め | ひそひそ荘

長ったらしいので要点だけまとめると、「ひとは他者、つまり“私の隣にいるあなた”のために生きるしかない」と「私は私を観察する神を楽しませるために魂を捏ね続けなければならない。つまり、私の人生の出来事や内面を豊かにしなければならない」の二点になる。

前者は「善く生きる」ための指針で、後者は「頽落せず生きる」ための指針だ。このふたつが揃って始めて「本質的な生」があると思う。

たとえば、もう何が何でも私は絶対に働きませんって覚悟を決めれば、生活保護で暮らしていくのもマァできなくはないだろう。それをせずに労働を選ぶということは、人生をより善くしたいという意思があるってことだ。(まあ多くの日本国民には最初に提示した選択肢が見えていないという話もあるが)

ただ、現代日本の賃労働で善さ(=他者との接点)を実感しようと思うと、エッセンシャルワークと創作系以外は難しいように見える。要は疎外されている。

AIが書いた文章でも、受け手の感情が動いて新たな気づきを得られるのならばそれは本質的と言える。逆に、定型文だけのビジネスメールなら、相手が人間だろうと非本質的で疎外を感じる。

で、私の将来を考えたとき、趣味としてなら言葉での創作が好きだけど、それを仕事にしようと思うとある程度の実力は求められるし、その時代の流行り廃りもあるし、そもそもそれで大勢が食っていけるような給与体系が実現されていないから狭き門という話もあり……。次点で、イラスト制作で得た知識を使ってグラフィックデザインを、と思うけど、グラフィックデザインで食ってくってのもまた難しい話。それを言ったら簡単な仕事なんてこの世に存在しないんだけども。でもなんか、一番現実的な落とし所はデザインなんだよね、たぶん。そこで糊口をしのぎながら、いずれイラストか言葉を使ったなにかですこし生活を豊かにできたら一番いいのかも、私にとっては。

根本的な部分を始点にして組み立てていくような、そういうことがやりたいという気持ちがある。知と知の結びつきや、論理的な土台がほしい。プログラミングもわりと近い場所にあるんだけど、いかんせん数学的というか記号的で、私が好きなのは自然言語の重なりなんだよな~っていう。そういう意味では研究職ってすごく魅力的。ただ賃金がな~! まあ在野でやるってのもひとつの選択肢だよね。

小手先でなんとかなりつつ、知識を入れようと思えば入れる余地があるのが、やっぱデザインですかねって話に落ち着くんだよね。ギリギリ賃労働として許せる気がする。

なんで賃労働が嫌なのかって考えたんだけど、なんか、本質的じゃないように見えるんだよね。もちろん賃労働のなかで本質に触れようと藻掻いている者が存在しているのだろうとは思うけど、それでも、疎外されたくないです! という気持ちでいっぱいになる。

テンプレが嫌いなんだよな。テンプレって破壊してこそじゃん。でも労働はテンプレのパズルで成り立ってる。嫌ですねえ。本質の話をしましょうよ。

……みたいなことをだらだらと考えた。

なにか思いついたら送ってね