Sony製の紺色のヘッドホン、これとは干支を一周する程度の付き合いである。我が家では家電量販店といえばほぼ必ずケーズデンキに行くので、このヘッドホンとの出会いも必然的にケーズデンキであった。

たしか、先代のヘッドホンが片方断線してしまい、それで新しいヘッドホンが欲しかったのだ。

私はピアノを習っていて、しかし練習中の下手な演奏は親に聞かれたくなかったので、必ずヘッドホンを電子ピアノに繋いで練習していた。

ピアノは、父が転勤を伴う仕事をしていて、概ね7年おきに勤務地が変わることもあり、電子ピアノが選ばれた。今から思えば、すぐに嫌になってピアノを手放すことになっても惜しくないようにアップライトにはしなかったのだろう。

なんだかんだでレッスンには高校を卒業するまで通い続けたが、こういう密かな配慮があったという事実はしみじみと嬉しいことである。

練習とか途中とか、そういうものを聞かせる/見せることは、私の未熟な部分を見せることで、それが怖かったのだろう。私の思う完璧な私だけを見てほしかったのだ。

しかし、日々が不安に塗りつぶされていたかというとむしろ逆で、私はやりたいことをやりたいようにやった。周りの目なんてぜんぜん気にならなくて、私は常に自由だった。私は完璧だった。

それはつまり、私という世界が閉じていたのだ。私の心が住まう部屋には窓がなかった。だから、外の世界に興味を持つ方法を知らなかった。

外のものたちはいつも突然訪ねてきて、私の欠点を指摘し、そして去っていく。そういうものだった。だから私は、鍵をいくつもかけた。私を褒めも貶しもしないものだけを部屋に招くようにした。

しかしそれも長くは続かなかった。

鍵は壊され、私は私のことがすっかり信じられなくなって、世界のぜんぶが恐ろしかった。私のことを冷たく見つめる母が、何も言わない父が、私が正しいと信じた主張を無下にした教師が、集団でひとりを笑いものにするクラスメイトが、何を考えているのか分からない通行人が、怖くてしかたがなかった。

だから、目はインターネットだけを見て、耳をヘッドホンと音楽で閉じた。そういう掘っ立て小屋で暮らした。

イラストのことだけを考えた。描いている間は恐ろしいことを忘れていられた。そしてヘッドホンが私のことを守ってくれた。低音を響かせる、深海の色をした、あのヘッドホンが。

最近はあまりヘッドホンを使わなくなり、もっぱらBOSEの卓上スピーカーを使っている。私は私の小部屋に閉じこもらなくても大丈夫になったから。それでも、たまにヘッドホンを使うと、とても安心する。

今日の午前中まで東京に滞在していたが、ヘッドホンは多いに役立った。東京は騒がしすぎる。要るものも要らないものも等しく私の精神に侵入してくるものだから、とりあえず世界の音量を落とすしかなく、その仕事にヘッドホンはうってつけだった。

もう二度とあの小部屋には帰るまい、と思う。いや、既に帰ることは不可能だ。なぜならそれは壊れてしまったのだから。世界のどこを探しても、あたたかな、愛おしい、あの小部屋はどこにもない。

私は窓のある家に住まなければならない。それも、ふたりの同居人と共に。

同居人とは、たくさん対話をしたい。ラベルで埋め尽くされた存在でもなく、逆にラベルがひとつもない混沌とした何かでもなく、唯一の同居人として。

かれらが居るならば、それがどんな家であれ、そこは私の家である。そここそが帰る場所なのだ。

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