バタイユの「エロティシズム」を読み始めた。

エロティシズムは生殖とは峻別される。曰く、エロティシズムは人間特有のものらしい。

「人間特有のもの」をフックにして考えると、自殺が思い浮かぶ。自殺を惹起するものといえば、鬱である。

エロティシズムは他者に開かれる。他者を侵犯する。鬱は他者から閉じる。思考が自己に収束する。エロティシズムと死は近いところにある。鬱もまたそうである。エロティシズムと鬱は、欲求のスペクトラムの両極である。

性を軸にしたとき、鬱は自慰と読み替えることができる。自慰は閉じた行為だからだ。

さて、エロティシズムと自慰、この二極の中間項として、フィクションへの性を導入したい。

フィクションへの性は、映像や画像、文章といった〈他〉への欲望と〈自〉へのナルシシズム、このふたつを兼ね備えている。半分開かれて、半分閉じたものだ。

フィクションは記号の集積物である。故に、フィクションへの欲望がそのまま現実への欲望になるとは限らない。記号は現実を模倣している部分はあるが、あくまでも記号は記号であり、現実そのものではない。

もう少し理論を発展させることができそうだが、とりあえず今はメモに留めておく。

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