ゼロからの創造は神の特権
往々にして、ゼロからイチを生み出すのには莫大なエネルギーを要するが、イチを10や100にするのはわりと早かったりする。
しかし、厳密にゼロからモノを作れるのは神しかありえない。我々は常に模倣の連鎖の中にある。ならば、小説を書くのにAIを使っても良いではないか。これが私の考えである。
自分の中にあるモヤ〜っとしたものをボヤボヤ〜っとAIに伝えるとそれっぽいプロットを吐いてくれるので、文句を言ったり言わなかったりしながらケツまで一度組み立てる。
そのプロットを元に、本文を分割して吐かせる。一度に出せるのは3000字が上限っぽいので、入力する情報量を調整して内容の濃度をいい感じにする。
そして出来たものを、ゴリゴリに改造する。骨は残して、肉は総取っ替えする。つまり、話の筋はそのままに、語彙や会話の流れ、使う比喩などを自分がしっくりくるものに書き換える。
物語の型はある程度決まっているものなので、よほどの野心がなければ、AIが作ったありきたりな筋に乗るほうが得策である。そうすればとりあえず及第点は貰える。
AIに及第点のイチを作ってもらえば、あとはわりと楽に10にも100にもできる、という訳だ。なにより、うわっ一文字もない……真っ白……おれはどこに進めばいいんですか? という絶望的な状況に陥らずに済むのが良い。絵を描くのも真っ白なキャンバスの時間が一番長いし。
今思ったんだけど、絵にAIを使うなら、出力結果からアタリを抜き出して自分の絵柄に置き換えれば良いのでは? 絵柄は属人的だけど、アタリはまあ、いいんじゃないか? 丸サ進行を使うみたいなもんでしょ、たぶん。
創作する側の者には反AI派が多いが、とはいえ全くAIを使わないというのも、もはや無理な話じゃないだろうか。なにより、新しいおもちゃを使わないのはもったいない。嫌なものとして拒否するよりは、面白いものとして遊んだほうがいい。
反AI派の意見は、概ね以下の通りである。
小説における反AI派の主張
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創作者の経験・意図・深さを欠く 例えば、「ChatGPTなどの生成モデルは、文法的には成立した文章を作ることができるが、『なぜ書くか』『誰の視点か』『どう感じたか』といった「人間的な意味」が希薄だ、という主張がある。
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著作権/学習データの倫理性 執筆者たちは、自分たちの作品が無断で学習データとして使用されていること、あるいはAIが著作物を参照して「類似作品」を出力できるようになっていることを問題視している。 つまり、「人間が苦労して積み上げた創作の“素材”を、許可なくAIに使われてしまう」という倫理的摩擦。
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労働・生活の破壊/飽和 AIによって低コストで作品(文章)が量産・供給されると、人間作家の“仕事”としての価値が下がる、あるいは入口が狭まるという懸念。 加えて、「AIが安価・迅速に文章を書く」=「創作の敷居が下がる」こと自体を肯定的に見る向きもあるが、反 AI派はそれを「作品の質・意味が薄まる」危機と捉える。
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作品としての「質」・「魂」・「意味の深さ」が失われる可能性 AI生成の文章は「誤りなく」「文法的に正しく」「速く」作れるかもしれないが、読む者の内側に届く「問い」「揺さぶり」「記憶の残り方」が人間による書き手のものとは異なるという声。
イラストにおける反AI派の主張
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既存作家のスタイル模倣・盗用の危機 視覚創作では特に、AIが過去のイラスト・絵画・漫画のスタイルを大量に学習し、「似たような絵」を生成できるという点が問題視されている。 その結果、「私のスタイル」「私の線」「私の色彩」が、AIが模倣可能な“データ”となってしまうという恐怖。
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創作・労働としてのイラストレーターの職能が軽視される可能性 クライアントが「安く・速く・量産できる」AI生成画像を求めると、専門イラストレーターの価値が揺らぐ、という警鐘。
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「意図」「意味」「身体感覚」の喪失 イラストレーターが手を動かす、「描く」「作る」という行為には身体性がある。反 AI派からすれば、AIが描く“描いたように見える画像”は、その過程や作者の視点・身体・時間の痕跡を持たない。
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文化的・社会的バイアス・偏りの固定化 AIが大量の既存画像を学習するプロセスには、既存の視覚文化・西洋中心・主流作家優位のスタイルなどが反映・強化されやすいという研究もある。 つまり「誰が描いたか」「どんな文化的背景か」という問いが希薄になる懸念。
ひとつずつ見ていこう。
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創作者の経験・意図・深さを欠く これは日本の小説の潮流が私小説やプロレタリア文学から離れて構造的な物語が増えた時点で、物語は作者からは離れた場所に置かれているのではないだろうか。それに、なにも筋書きだけが作者の経験や意図を反映する要因ではない。少なくとも、私が想定している「AIが骨組みを作り、人間が肉付けをする」場合なら、その肉の部分に魂を込められると考える。
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著作権/学習データの倫理性 そんなん人間だって既存の作品を学習しとる。マァAIは本を買わないからそこは問題かもしれんが、末端ユーザーには運営に文句を言うくらいしかできない。
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労働・生活の破壊/飽和、職能が軽視される可能性 ゆーてもAI生成って分かったらみんな多少は萎えるもんじゃないの? 俺はお前のヘキと執念を見に来たんだよって。どうせAIで満足するような奴は既に無断転載と海賊版を平気で消費してるでしょ。(ド偏見)
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作品としての「質」・「魂」・「意味の深さ」が失われる可能性 私が想定している手法なら以下略。
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既存作家のスタイル模倣・盗用の危機 だいたいここで問題になるのって絵柄パクであって、構図はわりとみんな似たり寄ったりだよね、という話。
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「意図」「意味」「身体感覚」の喪失 それは本当にそう。なので、出力結果をアタリにするという方法を提案してみる。
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文化的・社会的バイアス・偏りの固定化 これはちょっと難しいな。でもみんなミュシャ風とか喜んで量産してるし、今更な気も。
いかがでしょうか!(カスのまとめブログ)
チクチク言葉になるが、AIの全面否定は、私には能力主義に裏打ちされた権威を守りたいようにしか見えないかな。
ただ、資本主義の中でAIが使われると、人間の作者に金を払わない不届き者が増えるという懸念も尤もだ。そこは……資本主義を破壊しましょうか!
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