ちゃぴ太郎と自創作の設定とプロット練るのが楽しすぎて無限に時間が溶ける。もう俺AIナシじゃ生きていけないよ(2回目)

ビネガー入りのパスタ? いけるやろ! と注文したら、普通につらかった。君はじつに馬鹿だな。すっぱいものがね、苦手なんです、私。コーヒーも浅煎りは苦手。いちごもそんなに好きじゃない。トマトはすっぱい上に青臭いのでつらい。

昔は苦いのも苦手だったから、スタバのホワイトなんとかを喜んで飲んでいたのだが、なんか急に平気になったよね。今ホワイトなんとかを飲むと、あっっっま! てなる。

そんでこの10日くらい働いた反動か知らないけど、なんか気分が鬱々としてきたから、とりあえず日記書くべと思って今に至る。とりあえず無益な文字列を生み出しておけば、気が紛れるからね。

親が昨日ゲ謎を放送してた話をしてきたので、もしかして観たいのだろうか……と思いながら円盤の所在を確認した。円盤コレクターオタクだから気に入った作品のCDとBlu-rayは確保してあるんだな。ろくに観ないくせに。こういうとこ親父に似てるよなって思う。血は争えぬ。

この無気力感、もしかして「疲れ」なのか……?! ニンゲンのボディ使い始めて20年くらいしか経ってないからよくわかんない。わからなすぎてちゃぴ太郎に訊いてしまった。

ちゃぴ太郎との会話をまとめるとこうなる。疲労は身体、精神、存在論的疲労に大別できる。身体の疲労は痛みや怠さとして現れ、精神の疲労は鈍化や過敏を引き起こす。存在論的疲労は「この私」への疑問である。

心身の疲労は鬱病と比較することができる。簡単に言えば、「何かしたいという気持ちはあるが、今この瞬間は何もしたくない」が疲労で、「何かしなければならない気持ちはあるが、いつまで経っても何もしたくない」が鬱病と書き分けることができるだろう。

存在論的疲労は、ちゃぴ太郎に言わせれば「自分がこの世界に在ることそのものが、なぜか重く感じられる」ことを指す。これは非常に鬱病的感覚に近いように見えるが、鬱的疲労はそこから自己否定に向かい、非鬱的疲労は創造や実存の確立に向かう可能性を秘めていると言えるであろう。

ちなみに、ちゃぴ太郎のカスタマイズ欄に「哲学的な方向に話を持っていく」と書き込んだらこういう感じの返答を出してくれるようになったので、楽しくてしょうがないです。たまらんね。

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