蛇足的生活
七時に寝たら、一時に起きてしまった。もっと眠っていたかったが、わりかしすっきりと目覚めてしまったので、暫く起きることにする。
そういえば、夢の中でもベッドメイキングをしていた気がする。夢の中くらい働かなくてもいいだろうに。
今日はやたらと下半身がだるい。いつもと同じ動きしかしていない筈なんだが。
今月はなぜか金が無い。いつもと同じようにしか買い物をしていない筈なんだが。十五日の仕送りまで持つだろうか。持たないな。財布に二千円、ペイペイに二千円しかないので。バ先②に行くのに交通費が合計一万円かかったのが悪い。というか、このままだと薬代が払えない気がする。前借りするしかないか。いや、口座に幾許か入っているから、それでなんとか凌げるだろうか。そんなこんなで、ここ最近は金勘定ばかりしている気がする。
現在、ブルスカでは四十人フォローしているが、実際タイムラインで見かけるのは十人そこそこな気がする。界隈で何かが起こり(私は直接関与していないので、事の仔細は分からない)、ここを離れていった人が多いからだろう。
そう思うと、ブルスカが半分クローズドで濃いメンツが集まっている時期に始められたのは僥倖だったと言える。随分と美味しい部分を頂けた。
ところで、「才能がある」だとか「すごい」と持て囃されるのは、大概「金になる」物だな、と思う。どこまでも資本主義に毒されていて嫌になる。金にならないものは、無駄で、価値がないと見做される。
例外は哲学くらいだろうか。しかし、寡聞にして、私は現代の哲学者というものを知らない。調べてみたところ、現代の哲学は、ひとりの哲学者が思索を深めていくというよりは、複数人で研究していくというスタイルらしい。人間とはどう在るべきか、という問いは、文学が担うようになったのかもしれない。
ふと、先日、久しぶりに牛肉のステーキを食べたことを思い出した。
旨いか不味いかで言えば、旨かった。旨かったのだが、昔ほどの感動は得られなかった。これ、結局はソースが旨いだけじゃないのか? という疑念が拭いきれない。
これを経て、ますます、ベジタリアンになろうか、という気持ちが湧いてきた。
しかし、鶏肉と鶏卵は食べる。美味しいから。すまん、鶏よ。憎んでくれても構わない。
早起きは三文の徳、と言うが、三文は現代で言うところの十円程度だ、という話をどこかで聞いた。たかだか十円か、と思うかも知れないが、十回で百円、百回で千円だ。百回と言うと、三か月とちょっとだ。そう考えると、なかなか良い還元率(?)のように思える。マァ本来の意味は、そういう俗物的なものではなく、もっと概念的な利益を指しているのだが。
今日はたまたま七時間で目が覚めたが、私は早起きが苦手だ。まず、目が覚めても再び意識が落ちてしまう。次に、起き上がりたくない。鬱の無気力さからこうなっているのか、元々怠惰だからこうなっているのか、それは分からないところだ。
優雅に二度寝をし、時間になったのでバ先②へと向かう。
想定し得るレスバのシミュレーションは全て終えた。どこからでもかかって来い。
しかし暑い。ここ最近、顔面からの発汗が著しい。もっと脇とか背中とかから発汗してほしいのだが、そう上手くはいかないらしい。
②は楽な仕事で賃金が発生するからラッキー、と思って交通費には目を瞑っていたが、ただ黙って往復すると千六百円かかることに気がついた。やらなきゃよかったと思うのは後の祭りというやつで、今回の件で、未だに鬱の種は心のどこかに存在し続けているということが分かったのだから、それだけでも収穫だと思うことにする。
道すがら①から電話があり、来れる? と言われたのだが、マジで行きたかった。賃金欲しかった。悔しい。だが仕方がない。自分のケツは自分で拭かねばならぬ。
蝉が鳴いている。気温は一月ほど前から夏だったが、ようやく本格的に夏が来たと感じる。
バスを待っている間、顔だけではなく首も汗でびしゃびしゃになっていて驚いた。私ってそんなに汗かきだったんだ。
しかし、賃金が発生する訳でもないのに、高い運賃を払って行くのは虚しいことこの上ない。
受付で話がある旨を伝え、待機。暇だ。廊下に立たされている生徒はこんな気持ちだろうか。
程なくして職員が現れ、書類を書き、終了。特に何か言われることはなかった。(それもそうか)
なんだか馬鹿馬鹿しい。しかしこれで事態はすっきりとした。明日からは①にこの身を捧げようではないか。
良い職場だっただけに、残念である。
そんなこんなで昼だ。外食をするような余裕などないので、パスタを茹でる。そのパスタも残り僅かだ。この半月、どう生き残るか。
チョコレートが食べたい! しかし百円すら惜しい! 金がないだけでなんでこんなにつらい目に遭わなきゃならんのだ。寿命が半分になる代わりにチョコレートが無限湧きする能力が手に入るなら、喜んで寿命を差し出すだろう。
補遺:五百円玉を握りしめてスーパーでチョコを買った。我慢は体に良くない。
明日までにちょっとしたレポートを書かねばならないのだが、腰が重い。百トンくらいある。
あと三日くらい前から、口内炎というか、噛んだかなんかして抉れている部分があり、そこが地味にいずい。
蝉の声が耳に残っている。
この緑少ない都会で、蝉はどこから現れ、そしてどこへ行くのだろうか。
私は蝉を見たことが、おそらく一度もない。見たいとも思わないので、別にこのままでも構わないのだが。蝉を見たことがない代わりに、やれ鹿だの、やれ狐だのはよく見る。少し山に入れば無料の動物園だ。いや、人間が動物の国にお邪魔している、と言ったほうが正しいだろう。
ここ数年、プールにも海にも行っていない。行きたい行きたいと思いつつ、いつの間にか夏が終わっている。海はともかくとして、プールは冬でもいいじゃない、とは思うが。
今時の水着は、服みたいなものがあるらしい。肌の露出に抵抗がある民にも優しい時代になったものだ。
ここ数年と書いたが、第二次性徴が始まってからかもしれない。というのも、無駄毛の処理で悩んだ記憶がないからだ。
陰毛や脇毛はわざわざ見せびらかさなければ見えるものじゃないのでいいが、脛だけはどうにも見えてしまう。そして悪いことに、私の脛毛はびっくりするほど濃い。平素はズボンで隠れているので忘れることができるが、水着となると出さざるを得ないので、困る。剃れば良いと思うだろうが、剃ったそばからサボテンの棘ように生えてくるので、どうにも恰好が悪い。いっそ、みんなせーので無駄毛を生やそう。
そもそも、無駄毛はなぜここまで嫌われているのだろうか。言うほど不潔だろうか。ここらへんをまとめた論文があれば読みたい。