不合理なもの、しかし価値のあるもの
今日は夕焼けがきれいだった。
なぜ物や景色に対して「きれい」と感じるのだろう。
生き物、とくに同種に対してきれいだと思うのは、現象としては分かる。魅力を感じることによって、連帯を作ったり、生殖に結びついたりするだろう。だが、物や景色をきれいだと思うことで得られるものはとくにない。必ずしも、安全なものや有益なものに対して魅力を感じるとは限らないからだ。
物に対する「惹かれ」とは何のために存在しているのか。それは、もしかすると、理由なんてないのかもしれない。ヒトの持つ感情というものは不合理だ。ならば、「きれい」という感想もまた、不合理で、理由のないものなのだろう。しかし、ヒトは無価値に見えるものに価値を見出す。
ガラクタに見えるものを大切にする者も居る。絵画だって、何かの役に立つ訳ではない。ただ見て楽しむだけのものだ。それなのに、何万、何億と金銭的価値を付与する。
ヒトの生き甲斐は、ただ生きること以外に重きを置いていることが多い。生きることを疎かにしてまで、何かに打ち込むことさえある。それは、不合理で、しかし価値のあることだ。