外から来た者か、内より出づる者か

 私は人間の裸に魅力を見出すことができない。
 なんだかぶよぶよしたタンパク質に包まれた、やや気持ち悪いもの。その程度だ。見知らぬ人と握手をすれば、生ぬるい温度が伝わってきて、少しだけ気分が悪くなる。腹出しコーデなんかは、冷えるから仕舞いなさい、としか思わない。入浴シーンなど、そんなプライベートなものを映すなんて、と思う。
 だが、自分の肉体が嫌いかと問われると、そうでもない。だから、あくまでも、他者の肉体に興味が無いということになる。
 ところで、ハダカデバネズミという生き物がいる。人間のように体に毛が生えていない、いわゆるヘアレスである。
 ハダカデバネズミが世間から注目を集めたとき、〝キモカワ〟という語と共に語られることが多かったように思う。無類のげっ歯類好きとしては、むしろ全裸の人間そこがキモカワだと思うのだ。
 そんな私だが、性欲が無いわけではない。気持ちいいことは好きだ。
 二次元のエロ画像も好きである。だがリアル過ぎると「絵が上手い」以外の感情がなくなってエロいとは思わなくなる。
 思うに、私はフェチシズムの塊なのだろう。ロングヘアや制服という記号が好きだし、デフォルメされた絵柄の子がエロいシチュエーションに投じられているという記号が好きなのである。
 ゆえに、他者そのものを性的な目で見ることがない。
 他者に性欲が向かない人のことをアセクシャルと呼ぶ。つまり、私はそれなのだろう。そして他者に恋愛感情で惹かれたこともないので、アロマンティックでもある。これらふたつを合わせてAroaceと呼ぶ。
 今までずっと、人は恋愛をしなければならないとうっすら思っていた私にとって、この概念は救いを齎すものだった。ああ、無理に恋をしたふりをしなくてもいいんだ、と。

 私は昔から恋愛モノが苦手だ。なんなら嫌悪していた時期すらある。突然異性に惹かれる話は脈絡のない無理のある脚本としか、私の目には映らなかった。そんな雑な脚本は許せない、というのが私の心境である。
 だが、どうやらそれがリアルだと感じる人もいるらしいと、この年になって気がついた。
 最近、GRAVITYというSNSで遊んでいる。そこはXやBluesky、Mastodonとは客層が違うようで、メンヘラ(原義)の投稿が多いように感じられる。私も鬱病なのでとても居心地が良い。
 そしてなにより、恋愛関連の投稿が多い。これがなかなか勉強になる。好きバレなる単語もここで学んだ
 私とて、人間に対して全くの無関心という訳でもないので、他者と居て嬉しくなる時はある。だが、それはあくまで面白いと思ったときであり、好きだから嬉しいという感情はよく分からない。分からないがら、そういうこともあるらしい。
 しかし、こうも違うこと、理解できないこと続きだと、なんだか私だけが違う存在のような気分になり、疎外感を覚えてしまう。

 ゼノという単語がある。外から来た者、という意味だ。ならば私はゼノかもしれないと思う瞬間がある。しかし、私もまた、どう言葉を弄したところで、ただの人間の中のひとりなのだ。
 ならば内側から現れた者である。内側から現れた、他とは違う者。それを私は妖怪と定義し、それを名乗っていた。
 だが、と思う。人間を十把ひとからげに〝人間〟と定義してしまうのは、ずいぶんと乱暴な話ではないか、と。だから、私という個は人間の中の数多ある種類の中のひとつで、つまり全員が人間だし、全員が妖怪なのだ。
 現実は、人間か妖怪か、自分とそれ以外か、という単純な二択で収まってはくれない。ゆえに多様性がある。個性がある。それのなんと面白いことか。
 せめてクソみたいな世の中を、それなりに面白がりながら生きていきたいものだ。

 今日の出来事としては、皮膚科に行って、慢性的に発疹の出ていたところを診てもらって薬を貰い、お気に入りの喫茶店でオムライスと珈琲とガトーショコラに舌鼓を打った。
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