No.48
私はただ彼を肯定した。彼は私を親友と呼んだ。私が彼にサーヴィスし、居心地のよい場を提供していたのだから、そう思われるのは妥当だ。
だが私にとってはどうだ? 相手の価値観に合わせるために殺した心はいくつあっただろうか。
あの頃の私にとって、愛とは責任だった。友になったことの責任。友と呼ばれるのなら、私は彼を愛そうと思った。それが義務だった。なんて不自由な愛だろう。今ならそう思える。
それでも、彼に幸せになってほしいという気持ちは本物だった。けれど、その感情はどこから湧いていたのだろうか。憐憫ではなかったか。
それもまた愛と言えばそうなのかもしれない。
だが私にとってはどうだ? 相手の価値観に合わせるために殺した心はいくつあっただろうか。
あの頃の私にとって、愛とは責任だった。友になったことの責任。友と呼ばれるのなら、私は彼を愛そうと思った。それが義務だった。なんて不自由な愛だろう。今ならそう思える。
それでも、彼に幸せになってほしいという気持ちは本物だった。けれど、その感情はどこから湧いていたのだろうか。憐憫ではなかったか。
それもまた愛と言えばそうなのかもしれない。