フェミニズムは何をすべきか?
エックス言論空間において、男女論の争いは常に終わらない。それはなぜか。
結論だけを述べよう。女は心身的ペナルティ、男は社会的ペナルティに焦点が合っている。女性は実際の痴漢被害事件、レイプ事件、ストーカー事件、妊娠の危険性について、男性は痴漢冤罪や突然の認知を迫られること、など。根本的にレイヤーがズレているのだ。そりゃ一生、話が平行線のはずである。
しかし統計として、女は男より筋力や体力が弱くなり、男は女より強くなる傾向がある事実も否定できない。もちろん例外はあるが、あくまで平均の話である。
事実として非対称であるなら、それは、尤もらしい嘘をついたやつが優勝で、それを信仰するのが倫理ということにならないか?
それは本当だろうか。
ならば、筋力や体力が強くなってしまった個体からそれを奪ってしまい、肉体労働は機械に任せる。これならば、少なくとも肉体というハードウェアの格差はなくなる。では、どうやってそれを実現する。医学的にか。そのシステムは誰が作る。国だ。──これでは肉体に介入する生政治ではないか! そして、むしろ多様性から遠ざかってしまう。
では、進化とは、「より善い」とは何なのか。
全体が偏りなく幸福かどうかのみを考えれば、人間から筋力や体力、思考力を奪い、何もしない、何も考えない状態で、機械に世話してもらうことが一番不幸が少ない、ということになってしまう。まるきりディストピアである。
そう、これはそもそもアポリアだ。現実として難しい課題なのだ。だからずっと解決していないように見える。それに業を煮やしていっちょ噛みしたとて、感情論になって怒りを貯めるか、迂闊な言動をしてしまって火傷をするだけだ。
では、我々は黙っていることしかできないのか? 目をつむることしかできないのか?
いや、そうではない。我々ができることは、ただ認める──見て、留める──こと。当事者のジェンダーに関わらず、実際に困難に直面した者たちの声を聞くこと。それが事実として存在していることを確かめること。そしてそれを広めること。
解けない問いを抱えたまま、それでも目を背けないこと。それが、今の我々にできる誠実さだ。
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