駄弁り、懐古
駅前に行って、カフェでコーヒーとシブーストを喫した。
その際、時間があったので、Es氏作成と私作成の質問リストの項目を母に訊いてみたところ、話が盛り上がり、なんだかんだで2時間は滞在していた。
母は、父と出会う前までは「こうあらねば生きてはゆけぬ」という確信を持っており、それに沿って生きていたが、父という異色の存在と出会ってから、「ああ、ひとってこれでも生きていけるのか」と思ったらしい。
そこから、流れは忘れたが、昔のコンピュータはパンチで開けた紙を読み込ませていて、とか、そのあと2画面になったり、windowsの登場によって複窓が可能になって感動したり、といった話を聞いた。
我が家には、20世紀には既にパソコンがあったらしい。その頃、ブラック企業から脱出して無職だった父が主にパソコンを使っていたらしい。その頃のインターネットの話を聞いてみたいものだ。
そこから、Flashってあったよね、『ピクトさんを探せ』とか機械を解体するゲームがあったよね、と昔話に花が咲いた。最終的に、昔のツイッターは毎日クソツイしたり、ばかみたいな診断メーカーで遊んだり、キチツイなるコピペで遊んだり、深夜はアニメの実況で盛り上がったりして楽しかったのに、Xときたら、という話に落ち着いてしんみりしてしまった。
何事も草創期や油の乗ってる時期が面白いもので、ブルースカイも招待制の頃のほうが面白かった
。今は一昔前のツイッターじみてしまい、冷静に議論していた者たちが、ただ腐すだけのポストにかき消されてしまった。ヘイターも現れ始めている。分散型SNSを謳う以上は仕方がないことなのかもしれないが、それでも、なんだか勿体ない。