会話の覚書

 母が起きてくるなり、娘って言うのは大丈夫? と訊いてきた。
 私は、子どもやうちの子って言ったらいいと思う、と答えた。しかし、〝子供〟には二つの意味がある。親から見た関係性としての子供と、大人の対義語としての子供だ。
 〝今の世間〟では、娘や息子と言った方が通りが良い。私は面倒くさがりなところがあるので、その時は、私が居ないところなら娘でも構わないと言った。だが、たとえ自分の母とその周辺の者たちだけだとしても、娘や息子というバイナリーな価値観と表現から脱することは、社会を変えることの一歩になるだろう。だから、改めて、「成人した子ども」と表現してほしいと伝えたいと思う。
 しかし、成人という二文字はなかなか気持ち悪いものだ。年齢によって大人かどうか、社会の構成員かどうかを決めるのは、違うだろう。仮に、仮にだが、社会の構成員を学生の対義語の労働者とするならば、未成年でも働いている者は居るので、そうではないよね、となる。さらに言えば、社会人という言葉も、私は好きではない。一般に、社会人といえばイコール労働者(賃金を得る者)とされることが多い。それでは、子どもは、労働していない、またはできない者は、社会の構成員ではないのか? 子どもや障害者、持病のある者たちを排除しているように聞こえて仕方がない。
 そのことを母に伝えると、社会はヒトとヒトとの間に生まれるものだから、賃金を得ないボランティアも社会活動だし、買い物に出るのも、母と私がこうして話すことも、社会的な行為であり、それは社会人だと言える、と答えた。皆が母のように考えていたらどれだけ良いだろうか。親が絶対的に正しいとは思わないし、その価値観は分からんわ、ということもあるが、それでも私は母のこういうところをリスペクトしている。

 それから話題は私の祖父のことになった。
 昨日、出先で祖父から電話がかかってきたので私が応答したところ、向こうが長々と駄話を続けてきたのに業を煮やした母が強制的に「食事が運ばれてきたので」と言って電話を切った。その後、今度は父に電話がかかってきて、(私の家の)エアコンがどうの、という、出先で話されても困る話を長々としてきた、という出来事があった。
 まずひとつ目の話をまとめよう。
 祖父は私を始め、父や祖母に依存している節がある。私の母は祖父に(本人曰く、男は甘くするとつけあがるから)塩対応なので、そうすると我々に依存の矛先が向く。祖母は祖父からのあれこれに耐えかねて潰されてしまっている。父は父で、祖父のことを面倒だと思いつつも、いちいち事あるごとに祖父に報告するもんだから余計に面倒なことになっている。そして孫である私が煽りを喰っている、という現状だ。
 祖父は現状、父のいとこのM氏がたまに訪ねてくる以外にほぼ交流がない。だから、一番都合がいい私へ頻繁に電話をかけてくる。私は基本、ひとの話をふんふん聴くのは嫌いではないのだが、最近は病んでしまった祖母への愚痴を聞かされることが増えてきて、さすがに無理になってしまった。私が強く、いやその話はやめてくれ、と言えればいいのだが、それで祖父が素直に引き下がる訳もなく、私は曖昧に相槌を打つ他なくなってしまう。
 祖母が病んでしまう以前から、祖父から電話がかかってくることは多かった。そのたびに仕方がない、と思って電話に出ていたものだから、私の中ではすっかり、祖父からの電話は耐え忍ばなければならない仕事として刷り込まれてしまった。なので、長々と話されても、ただ静かに困ったなあ、嫌だなあと心の隅で思うのが精一杯になってしまった。要は、とうの昔に諦めてしまったのだ。
 デイサービスなどで交流を持つことができれば、祖母にあたることも、私ばかりが聞き手になることも少なくなると思うのだが、本人は行く気がなさそうである。ここで祖父をなんとかするのは、子である父の仕事だ。私ではない。だが、父が動く気配はなく、なんなら父が問題の渦中で祖父に報告してしまうものだから、余計な問題が増えるばかりだ。この報告癖は、母が言うにファザコン──父離れできていない──ということだ。だから未だに「親」と「子」のままで、「ひと」と「ひと」の関係になっていない。権力勾配が存在したままなのだ。(それは隠居する気がない祖父にも原因がある)
 その報告癖が招いたのが、ふたつ目のエアコン事件である。
 新居にはどうやらエアコンが設置できないらしい、と風の噂で聞き、それを父が祖父に漏らしたらしい。それを受けて、祖父はM氏にエアコンを譲る話を勝手に進めてしまっていた。まず、エアコンは我が家の財産であり、祖父の物ではない。次に、出先だと断っているにも関わらずそれを長々と話すのも問題だ。問題だらけなのだ。
 このままでは、我々は嫌な思いをし続け、祖父は嫌われ者になって孤立するという、最悪のルートを辿ってしまうだろう。
 父が動かないので、仕方がなく、私が動くことにした。でも、あれこれするのは御免なので、こう語るに留めた。祖父の家に行くのが嫌である、それは祖父の祖母への対応が見ていられないからだ、と。具体的に言えば、さすがに何か考えるくらいはしてくれるんじゃなかろうか。してほしい。してもらわなければ困る。このまま祖父が死ぬまで逃げ切るのは、無理だ。生きていれば、嫌なことに向き合わなければならないときもある。
 父は父なりに動いてもらうとして、だ。私とて、なにも祖父に絶縁状を叩きつけたい訳ではないし、できることならそれなりに仲良くしておきたい。しかし、共通の話題がこれっぽっちもないし、祖父が何を好んでいるのかもさっぱりわからない。だから、話題が尽きて愚痴を聞かされることになる。
 過去に一度だけ、インスト曲、とくにジャズを聴くという話をしていたが、それを母に伝えると、本当に好きならもっと突っ込んだ話までするはずだ、と言われて、はあなるほどね、となった。ポップ曲ならこのアーティストやバンドのあの曲が、とか、クラシックなら誰が指揮の何フィルの、となるだろう。
 過去の記憶を辿れば、よく図書館から小説を借りていた覚えがあるが、祖父本人からこの本がどうだとか、この作者がどうだという話は一切聞いたことがない。
 庭いじりに精を出しているようだが、それも祖母が相手をしてくれなくなったが故に、というふうに見える。
 唯一、祖父が饒舌になるのは、職場での昔話だ。
 こうして書いていて、もしかしたら好きなことを語るという能力に乏しいのかもしれない、と思った。それは私にも心当たりがある。今度電話をするときは、最近は小説を読んでるんだけどね、とでも言っておこう。それに対する反応で、語る能力が無かっただけで本当は好きだったのか、ただ暇つぶしに読んでいただけなのか、くらいは分かるだろう。

 祖父と会話をしたくない理由として、もうひとつ、鬱病とそれに伴う単位不足のことを伏せているということもある。
 私は嘘や隠し事をするのが下手だ。いや、それ以前に、嫌なのだ。嘘や隠し事は己の身を守ると言ったりするが、私にとっては、むしろ自殺そのものだ。明確にそのことを自覚したのは、ちょうど昨日のことである。
 ひとは大なり小なり嘘をついて生きていて、それが普通だ、そうして身を守っていると母は言ったが、私には理解できない。
 なぜなら私はクィアだからだ。〝普通〟に準じても幸せにはなれない。傷ついても、泣きたくなっても、私は本当の私で居続けたい。本当の私で居ることが、私の居場所を作ることでもあって、誰かの居場所を作ることでもあると信じている。
 かつての私は〝普通〟になろうとして、たくさん小さな、本当に小さな嘘をついて、たくさんのことを隠した。沈黙した。我慢した。自分を殺した。その結果、自分が正常なのか異常なのかが分からなくなってしまった。いや、分からないと言いつつ、異常だと確信していたのだろう。だから自己嫌悪に陥って、死にたくなって、次から次へと溢れてくる不安にのまれて溺れてしまった。それが私にとっての鬱病だ。
 私はもう二度と私のことを殺したくはない。だから、嘘はつかないし、隠し事はしない。真実を伝える。それが私なりの誠実さにもつながっている。
 なにも、嘘や隠し事がないことだけが誠実さだとは思わない。真心を込めた優しい嘘もあるだろう。相手のことを想った隠し事もあるだろう。例え、内心と行動が違っていたとしても、他者にとっては現れたものだけが全てであり、これは見せかけだと思ったとしても、その見せかけこそが真実だ。その真実こそが、なによりも得難いものなのだ。その真実を作ろうと思った心こそが、本物なのだ。

 この世で祖父だけが、私が来年就職すると思っているのだが、母からは留年することは伝えるなと暗に言われていた。それは、それを聞いた祖父は必ず「何をやっていたんだ」と責めるだろうし、それによって私が傷つくから、らしい。たしかに傷つかずに済むならそれに越したことはないが、前述の通り、私は傷ついててでも常に本当でありたいと思っているので、一周回って自分を傷つけているのが現状だ。
 本当に母に教えてほしいことは、隠す方法ではなく、責められたときの身の守り方だ。これも、そう伝えよう。

 就職といえば、私は漠然とフライヤーなり雑誌なりの紙面を作るのだろうと思っていたが、正直、紙にそこまで思い入れはない。なので、なんだかなあと思いつつ過ごしてきたのだが、この三ヶ月、真面目にこのコーポ雪原と向き合ってきて、ああ、自分ってウェブデザインがやりたいのかもしれないと思い始めた。というか、既にやっている。やっているのだ。
 さて、ここで問題になるのは、画面やらブランディングやらの方のデザインをやるのか、コーディングをやるのか、である。どちらも嫌いではない。むしろ楽しい。
 ということを話したところ、どうやらコーディングに関する資格がこの世に存在しているらしいことを母が見つけてきてくれた。話してみるものである。
 二つ見つかったが、ウェブデザイン技能検定というもののほうがよさそうに見えたので、それとカラーコーディネーターの試験勉強が目下の課題となった。
 カラーコーディネーターの方は、ウェブ云々を言う前からテキストは買ってあったのだが、繊維がどうのの部分で萎えて放置してしまっていた。改めてぱらぱらとめくったら、それ以外は面白そうだったので、頭からやるのではやく、できるところからやるのがいいのかもしれない。