喧嘩別れの原因、絶望の原因

 バレンタインデーと聞いて、かつての友に郵送でチョコレートを送ったことを思い出した。
 あの頃は良かった。程よい距離感で、毎日バカやって。そんな生活が眩しく思える。しかしそれは、分かり合えたと勘違いしていたからこそのものだったのかもしれない。いや、遍く人間関係というものはそういうものなのかもしれない。いやいや、分かり合えないと理解した上で、それでもなお対話を重ねて程よい距離感を探ることこそが友人だろうか。

 喧嘩別れをしてそろそろ1年が経とうとしているが、すぐに忘れられるようなものではない。なにせ、7年来の付き合いだったのだ。当然である。
 事の発端は、このサイトにある。
 向こうは本職のプログラマであり、私はその時AIに頼りきってプログラムを作ってもらった。それが逆鱗に触れた。これは憶測だが、苦労して身に付けたものをAIなどという胡乱なものに書かれるのは我慢ならなかったのだろう。
 プログラムの危険性を説いてくれたのはありがたかった。だが、あの頃の私は認知の歪みが歪みきっており、行為の否定を人格の否定と捉えた。そして私は、相手の人格を否定する行動に走ったのだ。そして悪いことに、あたかも閉じているかのような空間のSNSが私の手元にあった。そこに思いの丈を書き殴った。
 ところで、私は一人っ子である。そして〝良い子〟でもあった。なので、喧嘩の作法を知らないまま大人になってしまった。己の感情が爆発することなど初めてと言ってもいい。
 だから、相手に直接気持ちを伝えるという手段が取れなかった。だから、対話の席に座れなかった。それがマズかった。
 私はなんとしてでも、直接言うべきだったのだ。それが相手を傷つけると知っていても。
 感情を殺すのは、ストレスになる。そして尾を引く。だから、喧嘩をできるならしたほうがいいのだ。
 きっと、あのことを乗り越えれば、本当の親友になれたのだろう。

 そもそも、私達の関係は不健全な形であった。
 私は相手を肯定し続けていた。無理をしてでも。それが相手を愛する唯一の方法だと信じていた。
 だから、あの頃は、愛とは責任だと思っていた。関係を築いたならば、相手が信頼してくれたならば、無条件の肯定で受け止めねばならない、と。
 それも愛の形のひとつかもしれない。それでも、それは時に自分を押し殺さなければ成立しない。本音で話していない。だから不健全なのだ。
 それは彼に対してだけでなく、おそらく、私の持つ全ての関係がそのようになっている。私にとって人間関係を築くことは、サーヴィスすることとイコールである。自分を偽り、殺してでも、相手にとって心地良い環境を作る。いつの間にか、それしかできなくなっていた。
 だから、私は対話が苦手なのだ。事務的な会話ならそれなりにできる。けれど、それ以外がてんで駄目だ。

 いつからこうなってしまったのだろう。何が原因でこうなってしまったのだろう。
 いつからか。それはきっと小学6年生まで遡る。
 それまでは、発言することに躊躇いはなかった。だが、ある一連の出来事が私を変えてしまった。
 事の発端は進学だ。あくまでここは序章に過ぎない。
 それまで勉強らしい勉強をせずとも毎回90点以上取れていた私は、調子に乗って進学校を受験した。しかし、そこは地獄であった。
 まず、何時間も勉強することを強いられる。それを前提としたカリキュラムを組まれている。当然、私はついていけなくなって、劣等感を植え付けられた。
 この点で既にストレスはピークに達しており、現実逃避をするためにTwitterにのめり込んだ。そこで先述の7年関係が続いた友ができたので、一概に悪かったとは思わない。
 そして、ここからが肝だ。
 クラス内でいじめが発生した。しかも、そこでの唯一の友が加担していた。あのひとにも様々な事情があったのだろうが、それでも、それは許されることではない。私はそこで既に絶望しかけていた。
 そこからの、教師の仕打ちである。私は泣きながらいじめがあることを訴えた。クラスの中で泣いている者がいる、と。それを教師はナイーブの一言で一蹴した。私の叫びは無視された。
 藁にもすがる思いでスクールカウンセラーに繋いでもらったが、牧歌的な絵が描けて、ふざける余裕があるなら大丈夫だと言われ、私のストレスは無いものにされた。
 こりゃ駄目だということで市立の中学へと編入したが、そこでもやはり、いじりと言う名のいじめがあった。本人は笑っていたし、そこが居場所だとも言ったらしい。だが、それは果たして健全な在り方だっただろうか?
 クラスの皆が一人の言動を、吃音を笑いものにするのは、明らかにいじめだろう。それを教師すら気づかなかった。私の訴えはまたしても無いものにされた。
 そして私は絶望し、対話を諦めた。私が我慢すれば、世界は何事もなかったように回り続けるのだ。それで良いではないか。

 全然良くない!
 なぜ私が私のことを殺さねばならないのか!私の生の主人公は、他ならぬ私だ!
 私が私のことを愛さずに、誰が愛してくれようか。
 世間のひとびとは、きっと、思っているよりもずっと対話に応じてくれる。私は私の意見を言ってもいいし、無理に話を合わせることも、肯定し続けることもしなくていいのだ。目の前の者全てにサーヴィスする必要などないのだ。
 もしそれで離れていくのなら、そういう星の巡り合わせだと、すっぱり忘れてしまえばいい。この星にはひとが何億と居るのだ。きっといつか、話し合えるひとと巡り会える。そういう希望を持って生きていこうじゃないか。

 以下はただの懐古である。
 T市に住んでいた頃、親しい友が居た。
 その友は、いわゆるマシンガントークで話すひとだった。相手の意思や意見は顧みない。否応無しに人をあちこちに連れ回す。そんな奴だった。でもなんだか憎めないのだ。そういう、一種のカリスマ性があった。
 きっかけはわすれてしまったが、私はそのひとにいたく気に入られ、いつしか親友のポジションに就いていた。あの日々は、いつまでも宝石のように輝いている。
 それから引っ越しをした。
 それまでは、グループが出来ないように、広く関係を築けるよう配慮された、実に恵まれた環境に身を置いていた。
 そして引っ越した先は、グループの出来上がった、閉じた関係性の場所だった。当然諍いは絶えず、私はいくつかのトラブルに巻き込まれた。そこで既に私の精神は参りつつあった。それでも、親しい友ができたこともあって、まだ対話を諦めるには至らなかった。

 そんな日々があった。