スケート、犯罪者と人権、CD 他
今日は朝イチで授業があったので、7時に起きた。
ニュースは地震のことを伝えている。地震ごっこをして遊ぶ子供のことも。それはストレスに対処するための遊びだそうだ。たしかに、怖かった出来事を、「とても怖い記憶」から遊びを通して「ただの記憶」のひとつに落とし込めるだろう。ストレスを外に出さずに押し込めることが、PTSD発症の要因だとどこかで聞いたことがある。そう考えると、その遊びは理にかなった行動だと思える。
それから、韓国で行われるスポーツの大会のこと。スピードスケートの選手を見ると、スケートの少年団に入っていた友達のことを思い出す。今も昔も、あのスーツはとてもかっこよく映る。
私の地元では、冬になると、校庭に水を撒いてスケートリンクを作り、そこでスケートの授業をする。
スケートなら何でもいい訳ではなく、スピードスケート一択。これがスポーツ音痴にはつらい。それを見込んで、私の通っていたプール教室は、冬にだけスケートの講座を設けており、私はそこでスケートのいろはを習った。
まずは立つところから始まる。赤ちゃんか? とツッコみたくなるかもしれないが、スピードスケートの靴を初めて履いた人類は皆赤子である。足プルプルするし。
最初からリンクの上、なんていうのはナンセンスである。ただ苦手意識を植え付けるだけだ。始めは雪の上をサクサクと歩く。この時、足は、自分から見て逆ハの字になるようにつま先を外に向かせる。こうすることで前に滑ることができるのだ。
雪の上で満足に歩けるようになったら、氷上に工事用コーンと共に放り出される。雪という固定器具を失くして再びプルプルする足をなんとかするためにコーンに必死にすがりつく。書いていて気がついたのだが、これには意外と意味があって、滑る時の前傾姿勢を身につける練習にもなっている。実に合理的だ。
氷上で立てるようになったら、ようやく滑ることができる。ここまで来たら、あとはスタートダッシュとかコーナーとかの技巧の話になってくるので割愛。
あとこれは地味に知られていない気がするのだが、一般的なスピードスケート靴はブレードが靴に完全に固定されているのに対して、競技用のものは踵の方がパカッと開くようになっている。あれがまたかっこいいのだ。
冬はバスのダイヤが乱れるのが日常茶飯事だと分かってはいても、いつも25分で着くのが40分になったりすると、ちょっとヒヤリとする。早く出ておいてよかった。
バス待ちの間、Blueskyで暇をつぶす。
>風呂が面倒くさいのって、濡れるのが嫌だという素朴な感情がある気がする。
これはマジでそうだと思っていて、そうでなければ、温かいし綺麗になれる♪ 楽しみだな♪ になるはずである。面倒くさいと思うのには、それなりの理由があるはずだ。
しかしふと立ち止まり、実家ではあまり面倒だと感じないなと思った。違いといえば、湯船に浸かるかどうか、だ。そして後で待っている人がいる。入らざるを得ない状況なのだ。
待つ人を錬成するわけにはいかないので、とりあえず今日は湯船にお湯を張ってみたいと思う。
それから、犯罪者に対するあれこれを考える。犯罪者とて人間だ。人間なのだ。
法に触れずに生きてきた人をピックアップして、同じような生活をさせられないというのなら、それは差別と言える。さて、日本の現状はどうか?
昔に比べればマシになったとは言えるかもしれないが、(私が見学した刑務所では)四畳半程度の空間に布団と机とトイレ(もちろん壁はない)を詰め込まれ、作業所での作業と運動くらいしか主体性〝らしきもの〟を発揮できない。テレビや新聞は見れるらしいが、それも時間が決まっている。これのどこに人権があるというのか。苦しさを強いて罰だと言えば、犯罪者は更正するのか? 一見、更正したように暮らしていても、それは刑務所を避けるためではないだろうか。法を犯さないでも生きられるんだ、こんな生き方もあるんだ、ということを教えてこその更正ではないのか。
ノルウェーにはハルデン刑務所という施設がある。そこは、個室の鍵が自分で開けられないこと以外は一般的なマンションの一室のような作りになっている。共用部分にはダイニング、交流スペース、図書館、体育館などがある。運動は強制されるものではなく、利用する〝権利〟を持っている。
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ノルウェーの刑務所は世界一人道的 77人殺害犯も個室三つ、ゲーム…遺族の感情は?
良い記事があった。
>「受刑者を非人道的に扱えば、結果はもっと悪くなる。この国が彼を人道的に扱っているのは喜ばしいこと。私だって、誰だって、罪を犯すかも知れない。でも、私たちを人道的に扱うということなんですから」
2つ目の記事に書かれている一文である。私だって、誰だって、罪を犯すかも知れない。本当にその通りである。
被害者に処罰感情があるのは理解できる。だからと言って、それを国が成り代わる形で処罰してしまえば、この国には基本的人権など無いと宣言するに等しい行為である。
ネットスラングとして「人権がない(なくなった)」という言葉が出てくることがある。それは、ゲームにおいて強いキャラが手元に居ないとか、道端で声を上げて笑ってしまったとか、そういう場面で使われる。
この言葉を考えなしに使う人が悪いと言えばそうなのだが、そう断言してしまうのは自己責任論に傾きすぎている。そういった言葉が生まれてしまう原因は社会にあると言えるだろう。
良い会社に務めなければ、食うや食わずの生活になり、更には過労死するまで働かされる。一度犯罪者になってしまえば、落伍者の烙印を押されて鼻つまみにされる。懲役刑や禁錮刑になれば、それこそ人権のない生活を強いられる。有罪の確定していない拘置所や留置所ですら、死亡事件が発生するような扱いだ。出入国在留管理局でウィシュマさんが亡くなったのは記憶に新しい。
眩暈がする。どうすればこの国に基本的人権が根付くだろうか。この話はずっと考えていきたい。
最近CDを蒐める楽しさに目覚め、縮小されつつあるBOOK OFFのCDコーナーをうろつくことが増えた。今日行ったところは比較的広く場所を割いていて、値段別に分かれていた。その330円のヒーリング、ニューエイジコーナーで4枚ジャケ買いした。
一枚目はダンスミュージックという、あまり私には縁のないジャンルだったが、まあ嫌いではないテイストだったのでよかった。
二枚目はバリバリポップなサウンドでびっくりした。びっくりしてググったら札幌のインディーズバンドのCDらしい。ジャンル分け間違ってるだろ。YouTubeに動画があった。好きな感じなのに活動休止中でちょっと寂しい気持ちに。
三枚目はbernward koch氏の『flowing』。ヒーリングっぽさのあるアルバムでよかった。裏面にある著者近影みたいな写真がちょんと載っているのがチャーミング。昔ピアノを習っていたので、やはりピアノの音がメインに据えられているとうれしい。
四枚目はENIGMAというバンド名のCDだ。まずバンド名で優勝してる。Love Sensuality Devotion: The Greatest Hitsというアルバム名なのだが、よく見ると頭文字がLSDになっている。さすがニューエイジだぜ。日本語にするなら、恋愛・官能・深い愛情だろうか。しかしラストに信仰、帰依、信心も意味するDevotionを持ってくるのがヒッピーらしくて良い。イカしたアルバムジャケットから察せられるように、サウンドはニューエイジからはみ出しつつ、らしさも残した良いアルバムだった。個人的には大当たり。だが、途中から針飛びしたような音になったり、そういう仕様なのかCDがイカれてたのかの判別がつかなかったのでSpotifyに駆け込んだら、針飛びだと判明しました。好きなのでMoraで買い直します。
なかなか楽しかったので、また別のBOOK OFFでやりたい。