もしものはなし

 太古の昔より、人類は永遠を夢に見る。
 私にとっては永遠など拷問に等しいように思えるのだが、世界中で不老不死の秘薬や不老不死の生物が登場する物語はよく見られる。それほど憧れるのだろう。老いぬことはそんなに素晴らしいことだろうか。膝が痛いとか腰が痛いとかが無くなるのはありがたいかもしれないが、それ以上に、周りが老けていくなかで、自分ひとり置いて行かれる孤独感のほうが恐ろしい気がしてならない。
 それに精神が老いないとも限らないだろう。いくら肉体が若さを保っていても、心が老けてしまっていてはどうしようもない。感性と云ってもいい。きっと人は未知なるものに心惹かれるのだ。ならば、不死の先で手の届く範囲のことを知り尽くしてしまったとき、無感動に陥った心はどうなるだろうか。絶望してしまわないだろうか。
 幾百、幾千と廻る季節は、肉体はそのままでも心を蝕んでいきそうだ。
 私にはそう思えて仕様がなかった。
 私の手元にある竹取物語にも、最後に月の国からの不死の秘薬が登場した。帝はそれを受け取ってどうしたのだろう。
「不老不死はそんなに善いものなのかな」
 京極堂は読んでいた本から顔を上げる。
「そうだな、不老不死に纏わる最古の話としては、ギルガメシュ叙事詩が挙げられる。関口君、ギルガメシュは覚えているかい」
「古代メソポタミアの王様のことだろう。半神半人とかいう」
「そのギルガメシュは不死を求めて若返りの植物を手に入れるが、水を浴びているときに一匹の蛇がこの草を持ち去ってしまい、結局不死を手に入れることはできなかったんだな」
「なんだか間の抜けた話だな」
 京極堂は本を置いてから口を開く。
「中国でもこんな調子さ。始皇帝が不老不死を求め、徐福に蓬萊の国へ行き仙人を連れてくるようにと命じたことが『史記』の秦始皇本紀などに記録されているね。始皇帝の命によって始まったのが練丹術だが、それによって作り出されたのは辰砂《シンシャ》、すなわち水銀などを原料とした丸薬であり、それを飲んだ始皇帝は当然、猛毒によって死亡したんだ」
「不老不死に憧れる一方で、その願いは果たされない。俯瞰して見れば、現在不死者は存在しないから遡って不死は失敗する運命にあるようにも思えるけれども、不死を目指したところで結局徒労に終わるという教訓話とも取れるな。そこまでして不死を求めても、この世の苦しみからは逃れられないじゃないか」
 京極堂は、そうさ、と云って湯呑を手にした。
「不老不死譚は苦しみとして描かれているものも多くある。例えば兼好法師は徒然草の中で、名利につかはれて、しずかなるいとまなく、一生をくるしむるこそおろかなれと記している。また西洋では、ギリシア神話のプロメーテウスは神故に不老不死であり、ゼウスが科した内臓をカラスについばまれ痛みを受け続けるという刑罰が科された。それから、アフリカ大陸南端近くの喜望峰近海で、オランダ人船長が風、あるいは神を罵って呪われ、船長はたった一人で永遠にさまよい続けることとなったという話がある」
「その考え方は解るな。しかし、竹取物語では最後にかぐや姫は羽衣を着て親の如く慕っていた老人への思いをなくしてしまうけれど、それで彼女は幸せになったのだろうか」
「他者への思いはしがらみでもあるだろう。それを失くすということは、執着を捨てることと似ているだろうね」
「──うん、それは慥かに幸せかもしれないな」
「しかし、長寿の天人と雖も、彼らには寿命がある」
「不死じゃないのかい」
「そうだ。天人の死の兆候を天人五衰という。頭上華萎ずじょうかい、頭上の華鬘はなかずらが萎しぼむ。衣裳垢膩えしょうこうじ、羽衣が埃と垢で汚れて油染みる。身体臭穢しんたいしゅうわい、身体が汚れて臭い出す。腋下汗出えきがかんしゅつ、腋の下から汗が流れ出る。不楽本座ふらくほんざ、楽しみが味わえなくなる。このうち三つ目には異説がいくつかあって、法句譬喩経ほうくひゆきょうや仏本行集経では、身上の光滅す。『六波羅蜜経』では、両眼しばしば瞬眩し見えなくなる、とあるね。『正法念経』では、この天人の五衰の苦悩に比べれば、地獄で受ける苦悩はその十六分の一に満たないと説いている」
「それまで全く悩みなく暮らしていたんだ。そりゃあそれだけ苦しくもなるだろうな」
 話の中ですら永遠は手に入らず、手に入れたとしても苦しみが待ち受けている。そんな話が後世まで残るのだから、よほど人は永遠に惹かれるらしい。
 それでも。もしこの生活が永遠に続くのなら、それは悪くないと思わなくもない。もちろんそれはありえないことなのだが。
「京極堂。君は永遠が欲しいと思うかい」
「そうだな、永遠に生きられるならこの世の本を全て読めるだろうな。そう考えれば魅力的と思わなくもない」
「ふふ、実に君らしいな」
 京極堂は再び本を読み始めた。
 私は次に読む本を探すために腰を上げる。
 今日はなんだか底冷えする。厠に行きたくなって廊下に出ると、外には雪がふわふわと舞っていた。道理で寒いはずである。
 用を済ませて座敷に戻り、火鉢のぬくもりを享受する。ふと、世界が雪に覆われる様を想像する。なんだかこの世の終わりのようだ。
「世界が終わる日が来るとすれば、こんな日なのかもな」
「なんだい突然」
「さっき外をみたら雪が降っていてね、外がやけに静かだったんだ」
「終末と雪、と来れば新エッダでのラグナロクの前触れだな。尤も、あれはちらつく程度ではないがね」
「慥か北欧神話だったね」
 京極堂は本を置いて茶を啜った。
「そうそう。新エッダ第一部、ギュルヴィたぶらかしによれば、ラグナロクが起こる前にまず風の冬、剣の冬、狼の冬と呼ばれるフィンブルヴェト、恐ろしい冬が始まる。夏は訪れず厳しい冬が三度続き、人人の倫理モラルは崩れ去り、生き物は死に絶えるというんだな。倫理が崩れ去るという点では、日本における末法思想に近いものがあるね。末法は元来、悟りに入る人がいない時期のこと、もしくは釈迦の死後千五百年以降の時期のことを指しているんだが、そこから、平安時代後期に末法に突入するという予測と、鎌倉時代へ移り変わっていく不安、当時の民衆の仏教への理解不足などが相まって、次第に末法観念が終末論的に変わっていったんだな」
「そもそも世界が終わるというのは、人間の社会が終わることだろうか。それとも、地球が滅んでしまうことだろうか」
 自分から世界の終わりと云っておいて、なんだかそこが気になった。
「終末の定義にもよるが、基本的には人の世の終わりのことを指していることが、とくに一神教では多いね。さっき挙げたラグナロクは地上も人類も一度滅んでいるから、これは地球が終わることといってもいいだろうな。しかし最後に、リーヴとリーヴスラシルという二人の人間が新しい世界で暮らしていくとも書かれているね」
「二人きりか。じゃあもし、僕ら二人が世界に取り残されたらどうしようか」
「どうするもこうするも、僕は本があるならそれを読むがね。無いのなら、まあ君と馬鹿話をするのも悪くはないか」
 そう云って京極堂は少しだけ笑った。
 こうして過ごす時間を京極堂も楽しんでいる事実に、私は面はゆい気持ちになった。