吾輩は柘榴である

 吾輩は猫である。名前は柘榴だ。
 そんな吾輩は今、主人である秋彦に撫でられている。
 喉を鳴らしながら、秋彦の手をぺろりと舐める。これは親愛の証だ。主人が吾輩を撫でるのを止めると、こうして催促をするのだ。そうすると秋彦はまた吾輩を撫でてくれる。
「今日はいつもより欲張るじゃないか」
 そう云いつつも撫でてくれるならいくらでも催促しようと云うものだ。しかし、今日は何か様子が違う。秋彦の雰囲気が浮ついているのだ。何か楽しみなことでもあるらしい。
 主人が楽しみにすることといえば、本のことと、それから──
 玄関からガラリと戸が開く音がする。
 廊下を歩く足音。これは関口君のものだ。
 そう。今日は珍しく関口君が来ることを約束してから来たらしい。
 足音が近付いてくる。そのまま座敷の前まで来たかと思うと、襖が開いた。
「やあ、柘榴」
 関口君もまた猫が好きだ。そして彼も吾輩を撫で回すのが好きなのだ。しかし吾輩は関口君に撫でられるのはあまり好きではない。抗議の鳴き声を上げるが、関口君は聞く耳持たずに撫で回してくるのである。その手つきは不器用で、擽ったいことこの上ない。これではまるで拷問だ。
「君のご主人はどこだい?」
「関口君、君は猫の扱いも下手だね。それじゃあ犬も寄ってこないだろう」
 そう云いながら秋彦が座敷に入ってきた。
 吾輩には、今日の秋彦は何やら愉しげに見える。それは吾輩よりも付き合いの長い関口君にとっても同じことだったようだ。
「機嫌がよさそうじゃないか。何かいいことでもあったのかい?」
「否、僕はいつも通りさ」
 秋彦は煙草に火をつける。吾輩は煙たいのが苦手なので、縁側に避難して丸くなる。ここは日当たりが善くて絶好の昼寝場所だ。
 それから暫くはなにやら雑談をしている風であった。
「関口君、君は今日、何か用があって来たのだろう?」
「ああ、そうだった」
 風呂敷を解くと、そこには身の揃ったとうもろこしが三本入っていた。
「ご近所から頂いたんだけれどね、結構な本数だったから君のところでも食べてほしくてね。もう塩ゆでしてあるからすぐにでも食べられるよ」
「ほう、それは有り難い。御相伴に与ろう」
 秋彦はさっそく台所から皿を持って来てとうもろこしを盛りつけた。吾輩も縁側から座敷に戻って、その匂いに鼻をひくつかせる。
 秋彦は一本手に取ると豪快に齧り付いた。勿論吾輩にもくれる。
「うん、旨い」
 秋彦が身をほぐして何粒か吾輩に差し出す。一口食べると、口の中に甘味が広がった。
「関口君、君はいいのかい」
「さんざん食べたからなあ。暫くはいいかな」
 そうして関口君は秋彦がとうもろこしを食べるさまをじっと見つめていた。
「なんだい、そんなに見られちゃ食べにくいだろうが」
「ああ、いや、すまない。つい」
「ついとはなんだね」
「いや、その、旨そうに食べるなあと思ってね」
 吾輩はとうもろこしを食べ終えてしまい手持ち無沙汰になった。縁側で丸くなることにする──と云うより、もう半分寝かけているのだが。
「本当にそれだけかい」
「い、いや、その」
 眠たい眼を何とか開いて関口君を見れば、なんとも真っ赤な顔をしていた。なぜそこまで赤くなるのだろうか。
「ふ、助平め」
 秋彦は食べ終えたとうもろこしの芯を皿に置き、関口君のところへ近づいた。そしてとうもろこしを食べるのと同じように、秋彦は関口君の口に噛み付く。
「ん……は、ぁ」
 秋彦が関口君に噛み付くと、関口君は決まって苦しそうにする。そりゃあ当然だ。口を塞がれているんだから。それでも、口を離すとなんだか嬉しそうにするのだ。人間のことはよく解らない。
「──とうもろこしの味がする」
「当然だ」
 そして今度は関口君が秋彦に噛み付く。
「ん、」
 関口君は秋彦を食べるのが好きだ。吾輩は主人に噛み付くような真似はしない。だから関口君の気持ちは理解しがたいのだが。しかしまあ、当人同士が楽しいのならそれで良いのだろう。
 そんなことを考えているうちに眠たくなってきたので、丸くなったまま目を閉じた。