君はまほろば

「僕だぞ! 昼寝をしに来てやった!」
 開口一番そう宣言したのは、他でもない榎木津その人である。
 これはたびたびあることなので、とくに驚きもしない。
「勝手にどうぞ」
 言い終わるや否や、榎木津は我が家へと這入っていった。
 昼寝なら自分のベッドですればいいものを、何を好き好んで、とは思うが、あれの考えを理解しようとするのは無駄な努力というものなので早々に思考を切り替える。
 しばらくすると、馴染みの客がやってきてしばし話し込んだ。最新の研究結果のこと、ここで買った本が論文を書くにあたって役立ったことなどを聞いた。
 その最中、店の前をうろつく関口が目の端に映った。どうせ声をかけようとしたら思わぬ先客がいて狼狽しているのであろう。
 そのうち母屋の方へと向かったので、いつもの如く勝手に上がり込んでいるはずだ。
 普段の面子とはいえ、客の相手をしないわけにはいかぬ。
 表に骨休めの札をかけ、自らも母屋へと足を向けた。
 そこには眠りこけた男が二人転がっていた。
 これが野良猫ならまだかわいいものだが、生憎ここには三十路の野郎しか居なかった。
 見るともなしに関口を見遣る。猫のように丸まりながら静かに眠る関口は、なんとも安らかな顔をしている。
 不安から真一文字に引き結ばれていることが多い口は、今はだらしなく少し開いていた。
 風鈴が風に揺れてりん、と鳴る。
 机の上に置いていた読みかけの本を手に取り、どちらかが起きるのを待つことにした。
 少し日が傾いた──とはいえ依然として明るいことに変わりはない──頃、関口が身動ぎをする気配がした。
「寄ってたかって昼寝場所にするんじゃないよ。自分の家で寝たらどうなんだね」
「ここは寝心地がいいんだよ」
 へらりと笑いながら関口はのたまう。
 この男は、普段は不器用なくせに、愛想よく振る舞うことだけは一人前である。彼なりの処世術と言うべきか。
 これがまた効果覿面で、毒気を抜かれてこちらの顔も緩んでしまう。
 榎木津は未だに夢の中のようで、日の光を受けて栗色の髪が金色と見紛うほどに輝いていた。
 帰り道で日射病になられても困るので、作家先生に麦茶を出してやることにした。
 台所から帰ってくれば、榎木津の顔をまじまじと見つめる関口が居た。作家先生はこうしてあの探偵に見惚れることがよくある。よほど気に入っているのだろう。
 まあ、黙っていれば美形なのは誰もが認めるところであるが、何もそこまで入れ込むようなものでもあるまいに。
「麦茶だ。飲みたまえ」
「あ、ああ。ありがとう」
 声をかければ、我に返った関口が洋杯コップに手を伸ばす。
「麦茶か、僕も頂こう!」
 突然目を覚ました榎木津が元気に麦茶を要求する。こうしてもう一度台所へ向かうはめになった。
「おや、こんなところに猿がいるじゃないか」
「それはこっちの科白ですよ。なんで榎さんがここに居るんですか」
「僕がどこで昼寝をしようと僕の勝手だろう」
「ああ、昼寝をしに来たんですか」
「それ以外に何がある?」
 榎木津にとってここは第二の蒲団か何からしかった。
「たまには昼寝以外の用事で来てもらいたいものだがね。君たちは忘れているかもしれないが、ここは木賃宿でも何でもなくて古本屋だぜ?」
「ここの寝心地がよすぎるのが悪いんだろう。僕は何も間違えていないぞ」
 この家はそんなに寝心地がいいのか。そうかそうか、そんなに言うなら諦めよう。妙な話を持ち込まれるよりはずっとましだ。
「君達も大概暇人だということはよく分かったよ」
 コップを置いた関口がこちらを向く。
「京極堂、君がいるから安心して眠れるような気がするよ」
 その声は妙に真剣味を帯びていた。
「京極堂がいれば、お化けも幽霊も祓ってくれそうだしな!」
「僕はあくまで憑き物を落とすだけで、祓いはしませんよ」
「どっちも似たようなものじゃないか」
 この二人がいると騒々しいことこの上ない。読書も全く捗らない。
 けれども、この騒がしさを好ましく思っている自分がいるのも事実だった。