友人以上、知人未満
私は中禅寺に呼びつけられて水戸川高校に来ていた。
放課後とはいえ、ちらほらと残る女子生徒からの視線が刺さる。早く図書準備室に逃げ込みたい一心で歩を進めた。
「来たか、関口君」
「やあ、中禅寺」
椅子に座った京極堂が振り返る。未だにオールバックにスーツ姿の中禅寺は見慣れないが、それでも様になっていることに違いはなかった。
「こんにちは、関口さん」
「こ、こんにちは、栞奈くん」
例によって、日下部が先客としてそこに居た。
今日の用事は目録作りの続きである。
日下部が本を取り出し、それを私が記していく。
単調な作業は実験の記録作業に似ている。一度始めれば慣れたものであった。
「──さん、関口さん!」
日下部に数度呼びかけられてやっと気がついた。どうやら私は深く集中していたようだった。
「あ、え? なんだい」
「全部の棚の本、終わりましたよ!」
「そうか。これで仕事はおしまいだね」
ぐ、と伸びをしながら私は帳面を閉じた。
やっとこの仕事から開放される。ただ書きつけるだけとはいえ、なかなか骨の折れる作業だった。
「日下部くん、そろそろ暗くなる時間だ。終わったのなら早く帰りたまえ」
「こう、ご褒美にお菓子とかは……」
「あるわけないだろう、そんなもの」
煙草の煙を吐き出し、中禅寺は言う。
「そんなあ……」
渋々、といった体で日下部は帰っていった。
「関口君」
「うん?」
「君には報酬をやろう」
そう言って中禅寺はやおら立ちたがり、近づいてくる。
煙草の香りが一層濃くなる。
ランプに照らされた中禅寺の黒く濡れた瞳。
座った私の高さに合わせるように中禅寺は身を屈める。
撫でつけられた前髪が一束、はらりと額にかかる。
そして私達は、ちう、と口づける。
さっきまで日下部が居た余韻が残っているなか、中禅寺の顔を間近で見ると、なんだかいつも以上に胸が高鳴った。
二度、三度と口づけを交わし、次第にそれは深いものへと変わっていく。
「……んぅ、ふぁ」
ああ、煙草の苦みがする。
でもそれは嫌ではなかった。むしろ好い。
そのことがばれているのか、中禅寺は煙草を吸ったあとに口づけをしてくることが多い。
中禅寺の頭に手を回し、中禅寺の腔内に舌を差し出す。ゆるく噛まれると、舌が、頭が甘く痺れた。互いの存在を確かめ合うように舌を絡ませれば、飲み込み切れなかった唾液が顎を伝う。
中禅寺の後頭部に手を回す。きれいに整えられた中禅寺の髪が乱れる。
口を離せば、名残惜しむように唾液が口と口とを繋いだ。
前髪が落ちた中禅寺は、学生時代のそれとほとんど変わらない。服装が制服からスーツに変わっただけ。それでも印象ががらりと変わるから不思議なものである。
ぴしりとしたスーツ姿は禁欲さを示しているようで、そんな中禅寺がこうして髪を乱しているのは、なんだか背徳的だった。
「今日の分の報酬は終わりだよ」
中禅寺はそっけなくそう言って、乱れた前髪を手で梳かす。
「そろそろお暇するよ」
「ああ」
身を正した中禅寺は、やはり美しかった。
──乱れた中禅寺も、それはそれで悪くない。