酔いどれ
「善い飲みっぷりじゃないか関口隊長」
「わはは! 顔が真っ赤だ、これじゃ本当に猿だな!」
「寄ってたかって、僕のところにばかり注がないでくれよ」
ことの発端は、木場が酒瓶を手に現れたことから始まる。先に探偵社まで行って留守だったのを受け、ここ、京極堂へと足を運んだらしい。
全くご苦労なことだ。そのまま諦めて帰ってしまえばよかったのに。悪いことに、この場には木場と榎木津の蟒蛇が二人、そして酒に弱い関口が揃っていた。間違いなくただでは済むまい。さらに悪いことに、我が家にはお中元で送られてきた酒がいくつかあるのだ。それが見つかればもはや惨事は免れない。
「本に被害が出そうになったら叩き帰しますよ」
「平気だ平気、俺よりも榎木津の心配をしたほうがいいだろうな」
「なんだと馬鹿修、酒に飲まれるのはそっちだろうが」
斯くして予想通りの結果となった。普段静まり返っているのが嘘のようなお祭り騒ぎだ。やれ最近の与党はどうだ、やれ喫茶店の女中がどうのと騒がしいことこの上ない。騒がしさも話す内容も、学生時代のそれとさして変わらないことに嘆息する。
当然のように眠っていた酒を榎木津が掘り起こし、宴会は延長戦に突入する。今日、榎木津がここに居たことが運の尽きである、としか言いようがなかった。
案の定、関口はふたりのペエスに飲まれて酒を呑まされていた。やはり介抱することになりそうだ。
何が楽しいのか、んへへ、と締まりの無い笑い声をあげながら関口が隣へとやってくる。
「なあ、京極堂。ふふ」
「なんだね、気味が悪い」
「君も飲んだらいいよ。ほら、注いでやるから」
「全く危なっかしいな。そのままだとこぼれるだろう」
関口から徳利を取り上げる。
「おい、何をするんだ京極堂」
「関口。君ね、呂律もだいぶ怪しいぜ。そろそろ止しておきたまえ」
「今日は気分がいいんだよ。もう少し飲めそうなんだがな」
そう言いながら、関口はお猪口を弄ぶ。そこが止め時だと何度言ったら分かるのか。
とにかく、先に蟒蛇二人を探偵社に送らなければ、このお祭り騒ぎがいつまで続くか分かったものではない。来て早々帰ることになる木場に遠慮なんかせず、最初からそうすればよかった。
「関口君、僕は旦那と榎さんを駅に送ってくる。その間留守を頼むよ」
「わかったよ京極堂、まかせておきたまえ」
全く調子のいいことを。
駄々をこねる大の大人たちをなんとか送り返して我が家に戻れば、関口は机に凭れて船をこいでいた。
「なあ、京極堂。僕が死んだら、すまないが雪絵を頼むよ」
「藪から棒になんだね、関口君」
「もしもの話さ」
この酔っぱらいは、ひとりで過ごしている間に随分とセンチメンタルになってしまったようだった。
「とにかく水を飲みたまえ。随分と酒を呑んだだろう」
台所に行って水を汲んで帰れば、関口は体を縦にするのを諦めて机に突っ伏していた。
肩を揺らせば、首をもたげて関口がこちらを見る。酒で耳まで赤らんだ顔、熱に浮かされたように潤んだ瞳。
ああ、この瞳には見覚えがある。あれは──遠い過去の話だ。若気の至り、一夜の過ちである。関口は知人で、お互いに妻がいて、だからあれは過去のこと。全て過去のことだ。
「なあ、中禅寺──」
関口の顔が近づいてくる。関口の吐息を近くで感じ、酒の香りが濃くなる。瞼がゆっくりと閉じていく。
これ以上は、いけない。
関口を押し返そうと肩に手をかけた瞬間、関口の頭はかっくりと下がった。寝ている。こんな妙な姿勢で。
深く溜息を尽き、座布団を枕代わりにして寝かせてやる。
こちらの心労をよそに、関口はすやすやと眠りこけていた。口がだらしなく開いて、よだれが垂れている。
あのときは若かった。だから、何かお互い勘違いをしたのだろう。そうでなければ、あんなことはするまい。
しかし、あの時の関口の顔は、声は、今も頭から離れずにいた。