シガーキス
私と京極堂は、今日も今日とて飽きもせず、薄い薄い茶を啜りながら馬鹿話を繰り広げていた。
私の持ってきた話題は早々に一蹴されてしまった。せっかく京極堂の意見を聞きに来たのに、これではまるで馬鹿話をしに来ただけの暇人である。実際のところ、ろくに筆が進まず暇を持て余していたのは事実なのだが。
さすがに茶にも干菓子にも飽きてきて、煙草を飲もうと思ったら燐寸箱を持っていないことに気がついた。
「京極堂、燐寸はあるかい」
さきに煙草を燻らせていた京極堂は、さっきのが最後の一本だったと答えた。
「関口君」
それだけ言って、京極堂は煙草を咥えた。ここから火を貰っていけ、という合図だ。私は立ち上がって京極堂の近くに座り直す。
「それじゃあ拝借するよ」
間近で見る京極堂の切れ長で怜悧な目は、学生時代のそれと変わらないな、と思った。
昔はよくマッチが勿体ないからと、こうして火を分け合っていたことが多々ある。今改めて考えると、煙草も決して安価ではないのだからマッチの一本くらいどうということもない気もするが、分け合った火は特別に思えて悪い気はしなかった。
図書準備室での記憶が蘇る。薄暗い部屋、ぼう、と光る煙草の先。くゆる紫煙。本棚に囲まれたそこは、私にとってはひどく落ち着く場所であった。それはこの古書肆が居たから、というのも少なからずあったのかもしれぬ。
私が煙草を覚えたのはちょうどその頃だ。周りには成人を待たずして喫煙をしているものが何人も居たが、私にその勇気はなかった。
中禅寺は中禅寺で、規律を守るように成人するまで煙草を手にすることはなかったが、いつの間にやら私より先に煙草の味を覚えていた。それに倣うように私も煙草を試してみたが、どうにも上手く吸えなくて噎せてばかりいた。
「君は最初から深く吸い込みすぎなんだ。最初は少しずつ吸って、煙を口内に溜めるといい」
国語教師はそう言って、私に煙草を一本手渡した。
言われたとおりにすれば、たしかに噎せずに済んだ。これなら慣れていけそうだ。
そんな私を見て満足げに微笑んだ国語教師が煙草を取り出すと、
「しまった、君にやったのが最後の一本だったようだ」
と言った。片手には空の燐寸箱があった。
「仕方がない。君のとこから火を貰おう」
「そんなことができるのかい」
「関口君、君はゆっくり吸い込んでいたまえ」
煙草の先端に火が灯る。そこに中禅寺の咥えた煙草の先端が触れる。ジジ、と音を立てて火が移る。
それが私達が火を分け合う最初の日だった。
それからはとくに話をせず、古書肆はいつものように売り物を我が物顔で読み耽り、私は庭やら空やらを眺めたり、たまに本を読んで過ごした。
幾日かして、私は再び目眩坂を登っていた。今日は事件でも馬鹿話でもなく、作品のアイデアを貰うつもりだ。つもりなのだが、今日は鳥口もついてきているので、またカストリ誌に乗るような下世話な話に持っていかれてしまうかもしれない。
案の定、鳥口が先に口火を切ってしまい、私は置いてけぼりにされてしまった。仕方なく煙草を取り出せば、燐寸がないことに再び気がついた。
前回、京極堂を訪ねてから数日は家に籠もりきりであり、外出した際も煙草を飲む機会はなかったのですっかり失念していた。
そんなこんなでもだもだしていると、今日も先に煙草を飲んでいた京極堂がいつものサインを寄越してきたので、それに甘んじて火を貰うことにした。
「うへえ、見せつけてくれますね」
「見せつけるとはどういうことだい」
「どうもこうもないでしょう、すっとぼけないでくださいよ先生」
全く訳が分からなかった。こんなもの、よくあることではないか。
「すまないね、鳥口君。センセイは幾分鈍いところがあってね」
「そういう師匠も師匠ですよ、全く」
鳥口は呆れ返り、京極堂は愉快そうに目を細めていた。私は目を白黒させることしかできなかった。
鳥口が先に帰ったあと、どういうことだと京極堂に問い詰めれば、あそこまで距離を狭めることはなかなか無いだろう、と返された。確かに、俯瞰して見ると距離は近いかもしれない。すっかり慣れて感覚が鈍っていたが。
とにかく、次からは燐寸を忘れないようにしよう。そう私は心に決めたのだった。