復帰

 久しぶりに日記を書く。
 今日はなんてことの無い日であった。なんてことのない日ほど得難いものはない。
 先月の連休明けは、急に全てがどうでもよくなってしまって全然動けなかった。本当に何も出来なかった。それを医者に話したらおくすりが増えた。いわゆるカリフォルニアロケットである。
 薬の名前でXのポスト(長ったらしい。ツイートと言わせてくれ)を検索したところ、抗鬱薬を6年飲んでいるという投稿が目に入った。私もそれくらい長丁場かもしれない。あるいは一生飲み続けるのかもしれない。どちらにせよ、覚悟を決める他ないな、と思った。

 精神的な地獄について考えた。以下はblueskyでの投稿の転記である。
 つらさ苦しさは相対的なものではなく、常に絶対的にはかるべきものだよなあ。どのような原因であろうと、そのひとの感情を無かったことにしてはならない。
 医者じゃないから詳しいことは分からんが、鬱病の齎す憂鬱さの原因のひとつに身体的なバグがあると思っていて、そこに理由なんてないと思っているのよね。鬱は心の風邪、なんて言ったりするけれども、どちらかと言うと癌の方がイメージに近い。
 それに、どれほど物理的に豊かで恵まれた環境にあったとしても、心理的な地獄に居るならば、それはやはり地獄でしかない。心理的な地獄は知識でどうこうできる代物ではないからね。
 物理的なものと心理的なものは同等なのだから、他人が40度の熱を出しているから38度はつらくないだろ?と言うのと同じくらい乱暴なことだよ。
 理性(理屈や論理的思考と言い換えてもいい)は人間の特権だからと特別視しているから誤解する。理性は合理を欠くことも多く、理性が本能より優れているとは言えないから、同じように間違えることもあるという点で理性と感情は同等と言える。
 あえて理由を作るならば、感情無くして思考は無く、思考無くして行動は無いからだ。感情は知識よりもっと根源的なものなんだな。感情は理屈では制御できない。思考を持つ者として生まれた以上、気持ちというものを軽んじてはならない。それは、いのちの問題に直結するから。

 ここまで思考を働かせたのは実に久しぶりだ。やはり薬が効いているんだろうか。