一旦実家に帰ってきた。
特急がやけに混んでいると思ったら、高速道路が止まって高速バスが運休になったらしい。
道中で、一次創作の小説をぽちぽち書いていた。今までずっとイラストでしか知らなかったキャラクターたちが動いて話している様を見るのは、なんだか妙な気分になる。それだけで既に面白い。
だいたいの口調のイメージはあったが、あっそういう感じで喋るのね、あなた、といった感じ。MVでしか知らなかったアーティストのライブを初めて見に行ったときに似ている。
私は作るにしろ見るにしろ、世界観にこだわるタイプなので、物語の土台は8年かけて熟成されている。だが、何を乗せれば面白くなるのかがわからない。いや、こういうときは引き算か。何を見せて、何を隠すか。その取捨選択がむずかしい。けれど、そこが面白い。
世間に置いて行かれている。ぽつんと。
Xを見なくなってから、NHKニュースでしか世間と接続されていない。
日々巻き起こっているであろう、差別のこととか、慰霊碑のこととか、フェミニズムのこととか、そういうものがほとんど目に入らない。
精神を病んだ者としては、そういうものから離れていたほうがいいのだろう。だが、全く知らないまま生きているのもなんだか怖い。
ということで、久しぶりにXを開いた。さまざまな暮らし、さまざまな思考、さまざまな発言が飛び交う。言葉のスクランブル交差点の真ん中。
20分も見たら疲れてしまったので閉じた。社会のことは何もわからなかった。
風呂に入っていたら停電した。
湯船に浸かり、暗闇に放り込まれると、妙な安心感を覚えた。箱の中、暗くて、暖かくて、お湯の中で。奇しくも生まれる前の赤子のようである。
停電はすぐに復旧したので助かった。
暗闇といえば怖いものという印象を持たれがちだが、私にとっての暗闇は、ある時を境に、怖いものではなくなった。それは、視覚障害者にとっての世界ってこういうものだよな、と気がついた瞬間だ。なにか大きなきっかけがあった訳ではない。ただ、夜中にトイレに起きて、部屋へ帰るとき、そうふと思ったのだ。