食事、サカナと星

 家で昼食を摂るときは、必ず「そのままdish きのこのクリームリゾット」を食べている。たぶん一ヶ月分は食べた。
 親は食に少々こだわりのある人で、だから昼食も夕飯も毎日変わるのだが、私は栄養が取れて、且つ飽きなければなんでもいいと思っているので、朝食は必ずごろグラとヨーグルトだし、昼食は前述の通りだ。夕飯も固定にしたいと思っているが、なかなか上手く行かない。生活が安定せず、夕飯を食べずに寝てしまう日もあるので、そんなこんなで一人暮らしを開始してから2年経とうとしているが、未だに決まらずふらふらとしている。
 そもそも、なぜ食事に種類があるのか。職人が戯れに増やしたのか、飽き性のひとが居たのか、それは分からないが、ともかく、種類があるからといってそれを網羅する必要性はどこにもない。バランスよく食べましょう、とは栄養のことであり、料理の種類ではない。だから、飽きないのならば、夕飯は一生カレーでも良いはずだ。
 しかし、自分は人間であると思うと、人間たるものいろいろなメニューを食べなければならない、という義務感が生じる。そこで、私はカレーを食べる妖精だ、と仮定してみる。うん、悪くない気がする。今日の夕飯はカレーにしよう。
 こんな性格だが、別に食べるのが嫌いな訳ではない。むしろ好きだ。ただ、あれこれと苦労をしてまでメニューを増やしたくない、というのが本音である。そこに労力を割くくらいなら、別のところで使いたいのだ。こうしてゆったりと日記を書く、とか。

 今朝は例によってごろグラを食べようと思ったら皿がシンクの中で山を成しており、朝から洗う気力もなかったのでパンを食べた。そのパンにマスタードが入っていた。
 私は辛いものが苦手だ。だが、この辛さというのにも種類があって、胡椒はいくらかけても美味しいと思えるが、カレーは中辛が限界だし、マスタードに至っては全然、本当に全然駄目だ。マスタードの苦手さは、酒の苦手さに通ずるところがある気がする。どちらも、鼻に抜けていく独特なものがある。そうだ、スモークサーモンは煙たくて煙たくてどうしようもなくて苦手なのだが、その感覚も近い。

 ところで、私はサカナクションが大好きだ。今年からまた活動再開するらしいので、楽しみである。今もサカナクションの曲を聞きながら書いている。お気に入りは、セントレイ、Ame(A)、アドベンチャー、プラトー、目が明く藍色、辺りだ。とくに目が明く藍色は限界のときに聞くとベシャベシャに泣ける。
 サカナクションの良いところは、もちろん全てなのだが、強いて言えば、歌詞である。この何を言っているのか分かりそうで分からない、でもちょっと分かる感じが心の隙間にすっと入ってくる。
 対して、星野源の歌詞は直球だ。この世は地獄だけど、それでもいっしょに踊ろうじゃないか。YELLOW DANCER以降はそういう曲が多い。なんたってダンサーだしな。Storanger以前の朴訥とした感じも好きだ。ほっこりする。

 さて、とりあえず皿を洗おう。それから自分の体も洗おう。そうしよう。