思考の流れに沿って
最近、必ずと言っていいほど中途覚醒がある。だいたい入眠後1-2時間ほど経ってからだ。
しっかり目が覚めてしまうので、仕様がないからスマホをいじる。だから今もこうして日記を書いている。このまま起きても日中活動できればいいが、別にショートスリーパーではないので眠くなる。ただ徒に睡眠時間が削られて困ったものだ。
今日は課題をやった。自分で考えたジョークアイテムのプレゼン用写真の撮影だ。
課題の内容は、食にまつわる商品にはならないグッズを作ろうというものである。過去の作品には、愛情やまごころといったラベルの付いたスパイスや、スマホの撮影を禁止するスマホカバーなどがある。
私は、皿を舐めてもいいよ、というピクトグラムの付いた皿を作った。ピクトグラムは礼拝室のパロディにした。
最近建てられた施設では、たまに礼拝室を見かける。多くの日本人には必要のないそれが、日本の建物にあることの素晴らしさ。グローバル化を見据えた良い取り組みである。
しかしながら、同じように必ず必要とする人がいるジェンダーレストイレは、未だに実現していない。歌舞伎町タワーにはジェンダーレストイレがあるが、その階には女子トイレとジェンダーレストイレのみが設置され、男性トイレがなかった。そのため多くの男性がジェンダーレストイレを使用することになり、LGBTQの人々が使いにくくなってしまうという事態に陥ってしまった。
なぜこのようなことになってしまったのだろう。
しかし、だからといって、今後ジェンダーレストイレへの取り組みが避けられるような事態にはなってほしくない。それに挑戦しようとした意気込みは称賛に値する。ただ方法がマズかっただけだ。クィアとして、こういった運動は積極的に応援したい。
というのも、私がAroaceだからである。20年そこそこ生きてきたが、男性に対しても女性に対しても、恋愛的惹かれも性的惹かれも体験したことがない。(それ故、インターネットに溢れる恋愛話は興味深く読ませていただいている。)
それに、女性扱いをされるとどこか居心地が悪い。確かに肉体は女性だし、それに違和感はない。だが、ちゃんをつけられたり、女性だけのグループに属するのはなんか違うな、と思うのだ。だからといって男性になりたいかというと、そうではない。それに、精神には男女の違いなんてないと思っている。だから、男女問わずフラットに接しているし、男との友情も成立すると思っている。むしろAroaceとしては、友情以外ありえない。
そして、男女の違いがないからこそ、私はどちらか一方として扱われたくない。だが、なかなか理解を得られるものとは思えないし、我慢すればいいと思っている自分がいる。
私は昔から我慢することが多い。
言いたいが、相手が不快に思うだろうことは、心のなかに仕舞ってしまう。たとえそれが、私に正しさがあったとしても、だ。
そもそも、私の意見は正しいとはあまり思えていない。だから尻込みしてしまう。いや、正しくないから言ってはいけない、なんてことはないはずだ。だが、それは違う、と否定されるのが怖い。それは、意見の否定は自分自身の否定と感じる認知の歪みがあるからだ。頭では分かっていても、身が竦んでしまう。
……といった具合で、思考をそのまま書き写すと、連想が連想を呼び、とっ散らかった文章になる。たまにはこういう日記も悪くはないだろう。