まずは事実を、それから真実を

キャラクターは生きた人間ではない。

何を言ったところで、キャラクターはキャラクターでしかない。それは記号の集合体で、意図して作られたもので、それらは事実なのだ。

『人生は後悔と言う名の船旅だ』で書いたことだって一つの考え方だ。

しかし、欲望をぶつける対象にしたからといって、キャラクターをないがしろにすることとイコールにはならない。だってキャラクターとはそういうものだから。そういう存在だから。そういうふうに作られているから。

だから、なんら問題にはならない。

キャラクターはぬいぐるみのようなものだな、と思う。殴っても受け入れてくれるし、生き物のように扱っても受け入れてくれる。ぬいぐるみ同士を恋人関係にすることだってできる。空想のはけ口になってくれる。

キャラクターと言うと、解釈という言葉がついてまわる。それはキャラクターについて描かれなかった余白を考えることだ。だから、描かれなかったところで起こった出来事があるかもしれないし、二人は恋仲かもしれない、と読むことだってできる。ときには性欲だって抱いていることだろう。

キャラクターの描かれなかった部分として、どこまで許容してくれるのか。二次創作は、それを探ることだと言える。

そのうえで、祈りたいときは祈ればいい。それでいいのである。

キャラクターは生き物ではないという事実を認めたうえで、真実を探る。そういう旅路にしたい。