所有と愛

欲しい曲をカートに詰め込んだら2万円ほどになった。前回もそれくらいだった。

今月はちょっと散財しすぎたので、来月まで我慢である。

サブスクが主流の今、あえて〝買う〟ことの意味を考える。買うということは、つまり所有するということだ。たとえそれがCDの形をしていようが、MP3だろうが、自分の好きなようにできるということは、所有ということである。

サブスクはあくまで〝借りている〟だけだと私は思う。

もちろん、再生すればするほどアーティストに還元されるという良い面もある。だが、誰かも言っていたが、課金が便利になるための手段ではなく、CMなどのペナルティから抜け出すための手段になりつつあるのが気に食わないのだ。

それに、ランニングコストを考えると、月に500円だったとしても、一年で6000円。それを10年続ければ6万円にもなる。

私は、コンテンツにおいては大変な偏食家である。これと決めたもの以外は口にしない。試食くらいはするが、それくらいである。だから、ウン万曲が聞ける! というのは、私にとってはセールスポイント足り得ないのだ。

それになにより、私には父より受け継いだ所有欲がある。私は父ほどではないが、これは私のものだ、と言える状態が落ち付くのである。それが好きなものであるならなおさらだ。

家具や家電、車などのサブスクもある。

所有と愛着は大概セットでやってくる。私は物を愛したい。だから、そういうものは余計に受け入れられないな、と思う。もちろん、便利だから使いたいという人は使えばいいと思う。

物を愛する、と書いて、そうか、私は無機物を愛しているのか、と理解した。

生き物はどこか怖い。自分以外の人間全ての生き物に、自分と同じように思考があるということが、なんとなく怖い。だから犬も猫も怖いのだ。それが面白いとも思うのだが、面白がれるのは体力があるときだけだ。

その点、無機物は良い。そこに思考は絶対にない。ただ、私の愛を静かに受け止めてくれる。それが良い。それに、物は所有できても、生き物を所有することはできない。自分は自分のものであるように、彼らは彼らのものなのだ。

いつか所有以外での愛を理解できる日が来るといいな。