うつとなかよく
メンヘラ(原義)なので二週にいっぺん病院に通っている。今日も行ってきた。
日本で精神科というと忌避される傾向にあるが、なんてことはない、内科の脳バージョンのようなものだ。(脳だけが精神の全てではないが、便宜上そう書いておく)
院内も実に綺麗で、静かで、受付の人は優しい。私の主治医は、事務的ながらも程よく好感の持てる軽やかさを持った人物だ。
なぜ精神科は恐ろしいところだと思われているのか。日本において精神科は米英などに比べるとあまり定着しておらず、なんとなく知らないから、なんとなく恐ろしい、といった感覚になるのだろう。あるいは、入院病棟に柵が付けられているから、刑務所を連想して恐怖を抱くのかもしれない。
入院病棟にしろ刑務所にしろ、別にその場自体はなんら恐ろしい場所ではない。むしろ沢山の人に見守られていて、とても安全である。ならば、その恐怖は、自分が閉じ込められる側の人間、つまり落伍者になりたくはないという恐怖心だろうか。もしそうならば、実に差別的だ。しかし全く差別感情を持たぬ人間というのも居ないので、もしこれを読んで何かを感じたら、振り返って考えてみるのも悪くはないんじゃないだろうか。
私の場合、精神科に行って異常はないと言われることのほうがよっぽど怖かったので、精神科そのものへの恐怖感というものはイマイチわからない。
冷静に書き出すと、なぜ異常はないと言われることがそこまで怖かったのだろう、という疑問が浮かんでくる。お前は確かに狂っていると言われたかったのだ。しかし同時に、正常だと思い込もうともしていた。矛盾している。
その頃の私は、半ば脅迫的に普通であることを自分に強いていたので、正常でなくてはならなかった。しかし実際のところは、不安のせいで高速で空回りし続ける思考によって気が狂いそうになっていた。病的である、という意味で言えば本当に狂っていたのだろう。
早く他者から、お前は病気だと言われて楽になりたかった。しかし同時に、正常ではないと言われると、普通でいられなくなってしまうので困るのだ。そんなアンビバレントな感情を抱えて、一年半ほど前の私は、布団の上で気絶と覚醒を繰り返していた。
マァとにかく、今までできていたことが急に難しくなったり、感情が原因で生活に支障が出てるなあと思ったら気軽に行ってみるといいよ。健康だねって言われれば何かそういうターンだったんかなって話だし、お薬出すよって言われたら飲んでみるとなんか変わるかもしれないし。
私の通っているところは、地下鉄の駅から徒歩一分、医療モール(ビル内に複数の病院や調剤薬局が入っている)の中のひとつだ。なぜそこにしたかと言うと、大半の精神科が半年待ちと言われる中、その病院だけが数日以内に受診できると書いてあり、さらにウェブから予約できるシステムになっていたからである。
初診は三十分で、それ以降は五分程度の面談となる。予約時に予診票を書き、それを元に面談がスタートしたような気がするが、なにせそのときは頭の中がめちゃくちゃになっていたので、医者に対して、原因はこれだと思うんですけど! と熱弁していた自分のことしか覚えていない。そして医者から軽く、鬱だねと言われ、薬出せるけど、どうする? と聞かれた。
私は躊躇った。事前に鬱病のことを粗方調べていたので、抗うつ薬には副作用があるということを知っていたからだ(実際飲んでみたら副作用のふの字も出なかった)。いや、それよりも、自分が薬を飲むという未来を描けていなかったが故の青天の霹靂だったのかもしれない。なぜだかその時の私は、受診がゴールだと思い込んでいた。むしろスタートである。
精神科と一言で言っても、実際のところはメンタルクリニックやら、こころのナントカやら、なんだかよく分からない人が多いと思う。私もよく分かってない。ただひとつ言えるのは、カウンセリングも兼ねている精神科は予約が半年以上先になり、事務的に薬だけ出すところはすぐ受診できる、というのが今持っている印象だ。
精神の病は薬だけで治るものではないので、カウンセリングも必要だ。だがそれ以上に、病状は刻一刻と悪化の一途を辿るだけだし、話すだけでは治らないので、さっさと薬だけでも貰ったほうがいい。どんなに電話が怖くても、失敗したとてもう二度と話さないし、受話器にとって食われる訳でもないから、肚をくくってあらゆる精神科に電話をかけまくれ。もしくはウェブ予約できるところを探しまくれ。私から言えることはこれだけだ。
ところで薬漬け=悪みたいな図式があるが、いざ薬漬けになってみると、科学万歳! の一言に尽きる。お前らが居なきゃ今頃私は一生木偶の坊のままだったよ、本当に。ありがとうエビリファイ、ありがとうラモトリギン。もちろんイフェクサーもな。
また、原因はないとも言われた。あの頃の私は、人間の醜悪さに耐えかねて、人と接するだけでストレスになるからそれが原因で鬱になったのだろうと勝手に解釈していた。実際、恐怖を抱くに足る出来事はあったし、人と接する機会があるときに症状は酷くなったから、そう思うのも無理はない。
人間にとってストレスの要因は主に、人間関係、環境変化、仕事内容、仕事の量の四つに大別できる。
私の性格がガラリと変わったタイミングが発症時期と仮定すると、きっかけは進学という環境変化だと思われる。自頭の良さだけで私立に入ったはいいものの、絶望的に気風が肌に合わなかった。さらに授業ペースにもついて行けず、私のプライドはズタズタになった。それらストレスが発症の原因であり、いじめを目撃したことは原因ではなく、たまたま時期が重なっていただけだったのだろう。それはそれとして今でも、いじめを放置した担任は赦していませんが……
もちろん鬱にはならんほうが良いのだが、ガキのうちにプライドがぶっ壊されたのはラッキーだったなとも思っている。遅いほど重症になりそうだし。そう思わないとやってらんねえよ。
通信制の高校に通う、というほど校舎には通っていなかったが、とにかく在籍していた期間は、課題を出すとき以外は絵を描いて過ごしていた。ツイッターで馬鹿な話をしたり、ゲームで馬鹿なことをしたりもした。あの頃はストレスが全く無かった。それでもうつ病エピソードはどうやらあったようである。
問題なのは、とくになにも思い出していないのに気持ちが終了するときである。
これが目下の悩みだ。終了しているときは本当に万事が無理になり、なにをしても、なにを聞いても、なにを見ても憂鬱な気分からは抜け出せない。幼少時代をバカ能天気に過ごしてきたため、余計にこたえる。
自分の場合はただの憂鬱。素人判断ではあるが、趣味の絵は無限に描けるし、飽きない。うつ病ならば、どんなに好きだったことも手がつかなくなると言うし。食欲もあるし、睡眠も十二分にとれる。
高三のときの日記を引っ張り出してきた。理由は後ほど詳しく話すが、楽しいことはできても憂鬱になるときがあり、さらに傾眠傾向も見て取れるので、君、それは鬱だぜ。
それから悪化したのは、大学でのことである。滑り出しは極めて良好だったものの、知り合いが出来てからはガタガタと調子を崩し始め、崩壊寸前の心身で病院に駆け込んだ。
私は他者と関わることが怖くて、不安で、それでいて拒絶はできなかった。私は普通の人らしく誰かと関わるべきだし、上手く話に乗るべきだし、一緒に遊ぶべきなのだ。〝べき〟に操られる日々だった。
「怖い」という語は「不安」と混同されやすい。怖さは明確な対象や出来事があるのに対して、不安は漠然としている。私にとっての恐怖は、他者に批判されること。不安はときに無能感から発生する。私はコミュニケーションが上手くないという無能感を抱えていたので、必然、会話には常に不安がつきまとった。だから誰かと居ることは強いストレスとなった。
あの頃は、脳内が常に喧々囂々の会議室のようになってしまい、まあ騒がしいことこの上なかった。脳内が騒がしいってどういうこと? と思うかもしれないが、本当に騒がしかったのだ。これは軽くググってもピンと来るものがないので、次回主治医に聞いてみたい。
以下は素人がかき集めた知識なので、話半分でヨロシク。
若年層に多い非定型うつ病(以下非定型)は、中高年に多いメランコリー親和型うつ病(以下うつ病)とはかなり別物である。まず、うつ病は環境に原因があることが多く、ある程度の療養期間を設け、投薬することで改善が見込める。一方、非定型は、自己の内面に原因があることが多く、薬が効きにくくて経過が悪い。
うつ病は、抑うつ状態(気分の落ち込みや億劫さ)、もしくは興味や喜びの喪失のどちらかひとつ、もしくは両方が、一日中、二週間以上持続しているかどうかが判断基準となる。
非定型は、気分反応性が鍵となる。うつ病は楽しいことや嬉しいことが予感されたり、実際に起こったとしても、反応が鈍いか全く無い。一方で、非定型は楽しくなるし嬉しくもなるのだ。だがストレスに対してはうつ症状を呈する。これが気分反応性である。
他にも、
社会生活に支障をきたす拒絶過敏性
過眠
過食
鉛管様麻痺(手足が重い、感覚が鈍い)
などの症状が見られる。拒絶過敏性とは、ある行動を少し批判されただけで自分を全否定されたように感じ、ひどく傷ついたり、あるいは激怒するような状態を指す。私が会話に恐怖を感じていたのも、これに起因する。
対照的な部分もあり、うつ病は自罰的なのに対して、非定型は他罰的である。私が、他者が恐ろしい存在なせいで私はストレスを被っているのだ、と定義したのもやはり他罰的である。
他にも、うつ病は真面目で非定型は不真面目だったりする。斯く言う私も、周囲のガキと相対的に見たら真面目だっただけに過ぎず、本質的にはずるずるとサボる不真面目人間である。夏休みの宿題を泣きながらやるタイプ。
非定型は経過が悪いと先程述べたが、それは症状が若い頃から出るため、どこからが鬱でどこからが本人の性格なのかが分からなくなっているからだ。
私とて中学からずっと鬱と共に生きているので、もはや切り分けるのは絶望的だ。小学生の頃を参照したとて、成長してからもあの性格が続いていたのか、それとも多少は変化していたのか、そこが分からない。分からないので、どうしようもない。
それでも、どうしようもないまま生きていくしかないのだ。
ただ傾眠、お前は帰れ。