しあわせになるには
欲求
しあわせになるための手段の一つとして、欲求を満足させることが挙げられるだろう。
巷ではよく承認欲求がどうのこうのと言われるが、私が思うに、インフルエンサーになりたいだとか、いいねがいっぱい欲しいとかはあくまで表面的なことでしかなく、本質は、私はここに居ると皆に知ってほしい、存在し続けることを許されたい、といった感情なんじゃないかと思う。
wikiにはこう書いてある。
承認欲求とは、自分が集団から価値ある存在と認められ、尊重されることを求める欲求である。
(中略)
この欲求が妨害されると、劣等感や無力感などの感情が生じる。
自説は概ね間違ってはいないように思える。
無能感が長く続くと、自分の能力の見積もりが低くなり、不安が発生しやすくなる。こうなると、自己肯定感が低下するのだ。
承認欲求というと、マズローの欲求五段解説を連想する。
承認欲求の下には、所属と愛の欲求がある。ここでいう所属とは、家族や友人との繋がり、コミュニティへの参加のことだ。
ところで、家族とはなんだろう。男女がペアになって子供を産むために作られた家庭や、血縁関係だけが家族なのだろうか。養子であっても家族になれるし、犬や猫だって立派な家族の構成員足り得るだろう。もっと広く、人生を共に歩みたい存在との関係性を家族と呼んでもいいんじゃないかと、私は思うのだ。
閑話休題。所属に対する欲求の強さは、人によるだろう。友人が沢山居なければ落ち着かない人もいれば、一人二人の理解者さえ居ればそれで十分だという場合もある。
私にとっては父と母がそれに当たる。だが二人は高い確率で私より先に逝ってしまうので、その後どうするかが課題になってくる。同年代の人間は価値観が合わない人ばかりで、どうにも所属感が持てない。それでも、どこかに必ず近い場所に居る人が存在すると願って、さまざまな人と付き合っていくしかないのだろう。
そもそも、生理的欲求にせよ、安全と安心の欲求にせよ、その欲の強さは千差万別だ。だから一概に、こうすれば満たされますよ、とは言えない。どこが最低限で、どこからが余分なのかを見極めるのも人生における課題だ。
承認欲求の話に戻すと、wikiにはこうも書いてある。
高いレベルの尊重欲求は、自己尊重感、技術や能力の習得、自己信頼感、自立性などを得ることで満たされ、他人からの評価よりも、自分自身の評価が重視される。
私はぼんやりと、(他者と比べない)技術向上欲とか知識欲みたいな何かがあるよなあと思っていたが、それが技術や能力の習得に当たるのだろう。私は常々、他者からの評価よりも、自分で納得できるかどうかが重要だと思っているので、高いレベルの尊重欲求なのかもしれない。やったぜ。
丁寧な暮らし
自分を愛すること。やさしく扱い、かけがえのないものとして大切にする。その手段として、丁寧な暮らしは最適と思われる。
検索した限りでは、程よく欲を満たし、一手間加えることらしい。部屋を暖めるとか、自分へのご褒美を買うとか、ハンバーグに目玉焼きを添えるとか、雑貨を買うとか、音楽を流すとか、気になる作品は頑張って観るとか、そういうことだろうか。
せかせかしないよう、時間にゆとりを持って行動したり、ぼんやり外を眺めるのも必要な気がする。
同時に、悪い点はきちんと叱ることも大事だろう。机の上は整理する。床にものを置かない。体を綺麗にすることや、空腹を満たすことは、自分の身を大切に扱うこと。二度寝は罪悪感を伴うからしない。布団は毎回畳む。
物のしまう場所を決めて、いちいち記憶をほっくりかえして探し回らなくてもいいようにするのも大事だ。
しまう。物を決まった位置に戻すことと、物事を終わらせることを指す単語だ。それは片づけると言い換えても同じことである。ものを決まった場所に返すことは、物事を終わらせること。物事が終わらず中途半端では、落ち着かない。落ち着かなければイライラしたり不安になったりする。それはストレスだ。
ものをしまうことは、ものを迷子からおうちに帰すことでもある。私の所有物には、ただ所有する権利だけではなく、きちんとおうちを用意して住まわせる責任も伴う。ものを大事にするということは、そういうことなのかもしれない。
現代の"もの"は、大量生産された代替可能なもので溢れている。同じだから失くしても大丈夫だ、なんとかなる、と心のどこかで思っている。だから所有の責任を忘れてしまいがちだ。そういった考え方が、大事なものを失くすことにも繋がっていく。
人間はそんなに器用に出来てはいないので、大事なものだけを大事にするのはかなりむずかしいだろう。ならば、全ての所有物を同じように大事にするしかない。
上記は昔の日記からの抜粋だ。今、定規を失くしてあたふたしているので、本当に身にしみる。人を愛するように、物も愛しましょう。
運動
やはりこれは外せないだろう。嫌だけど。
いや、運動が目的の運動が嫌なだけで、手段としての運動はむしろ好きだ。一駅分歩くとか、自転車でちょっと遠くのショッピングモールまで行くとか、そういうのも悪くない。
ただ、北方に住んでいるので、冬の間は運動がしづらいのが難点だ。せめて、エレベーターの代わりに階段でのぼるとか、意識して姿勢を正すとか、それくらいしか思いつかない。