隠し事

私の全てを否定される夢を見た。

馬鹿にされ、貶され、笑いものにされる。けれどそれは、私が他者に向けてきた目線でもある。傷つく資格などないと思った。

結婚しようとか無責任なこと言って。そのとおりです。

1万もツイートして。沼ってもそこまでせんわ。そうかもね。

思ってること口に出さないじゃん。それじゃ鳴き声と同じだよ。言えてるかもしれない。

ツイッターでのことがリアルへと暴かれていくのは、ひどく恐ろしかった。それは隠し事が暴かれていくのと同じこと。

そんな恐ろしさも、目覚めて数時間も経てば忘れてしまう。本能の警告じみたそれですら。

隠しているものが真実である、という考えも少し違う気はする。隠そうとする意思も含めて本当のことなのだから。ゆえに、隠し事の部分だけがその人の全てではない。

それを無理やり、あるいは事故で暴かれたとして、表面とのギャップがあったとしても、それは裏切りではなくむしろ優しい嘘であったと。そう言えないだろうか。

とっさに出た言葉が本当のこととは限らない。人間には認知の歪みやら防衛機制やらが備わっていて、口に出る頃には歪んだ言葉になっていることが多々ある。感情が絡めば、それはさらに真実からかけ離れる

その言葉が本当のことなのかどうかを、少し立ち止まって考えられるようになりたい。

感情というものは実に厄介だ。口から出る言葉も、耳から入る言葉も感情に沿って歪んでいく。それが本人にとってプラスに働くのならそれも良いかもしれないが、負の感情を抱いているときのそれは大概マイナスに働く。そうして事態が拗れる。

怒りは6秒あれば収まる、なんていう言葉があるが、一度歪んだ認知はそれほど早くは修正されない。だから、「マズイな」と思ったときは思い切って1ヶ月でも2ヶ月でも距離を取り、腰を据えて冷静に振り返ったほうが結果として良い方に転がるんじゃないかと思う。

なんてことを考えていても、牛はもっさもっさと草を食むだけであった。

今日は空港の近くにあるジェラート屋さんに行った。裏手には牧場があり、牛が放牧されていた。

今日食べたのはチェリー味。ドライフルーツのさくらんぼと、さっぱりとした甘みのジェラートのコラボレーション。季節限定の味が色々あるみたいなので、何度か通いたい。

そのまた近くに広い公園があり、そこから滑走路が望める。今日は着陸を見ることができた。何度見ても、あの巨体を飛ばそうとした人も飛ばした人もすごすぎる。

丁寧に刈られた芝生の上を、ふわふわの犬が散歩していた。デカい蜂も飛んでいた。芝生に寝転ぶことがなくなって何年経つだろうか。

飛行機が着陸したら、イベントは終わったと言わんばかりに駐車場の車が一斉に捌けていったのが少し面白かった。