怠惰と治療
夢を見た。女と殺し合う夢だった。
なんとか勝ってその場から逃げるものの、新幹線に乗らなければ家には帰れず、体は傷だらけで、たぶんさっき殺した女の殺害容疑できっと逮捕されてしまうだろう。
今から戻って死体を隠すか? いや、悪あがきをしていたずらに刑期を伸ばすくらいならこのままにしておいたほうがいいだろう。ああ、どうか夢であってくれ。雪の降るなか、そんなことを考えていた。
また夢を見た。うさぎ大のハムスターを飼う夢だった。撫でると大人しくなる人懐っこい奴だった。そのハムスターのことも私はまめさんと呼んでいた。白いハムスターイコールまめさんらしかった。
こうして夢を反芻していると、夢と過去の記憶との境目が曖昧になるときがある。
今日は寝て過ごした。眠い眠くないではなく、縦になる気力がまずないし、横になっているといつの間にか意識がなくなっている。それでいて気分は強制的にフラットにされるから気持ち悪い。いっそ憂鬱なほうがいくらかマシだ。
最近は立ちくらみが起こるようになり、一瞬意識が飛んだりもするが、これも薬の影響だろうか。何も思いつかなくなって立ちくらみもひどいと来れば、断薬したくなる気持ちも分からなくはない。
こうも怠惰な生活を送っていると、治療なのか自堕落なのかが分からなくなってくる。こうして焦ることも治療の妨げになるような気もする。嫌になる。
推しの子を見た。撮影の気合が入ってるアニメを見れるととても嬉しい。アクアの目を見ると、瞳の異称の黒星を思い出す。
アニメは母が流してくれるからなんとか視聴できるが、それ以外はてんで駄目だった。何かをしよう、何かを見ようと思っても、それを拒絶する強い感情に襲われて結局何もできないまま横になることしかできない。
私はいつまでこのままなのだろうか。いつになったら薬をやめられるのか。いつになったら自発的に動けるようになるのか。
旅行の際は非常に自発的だったように思う。なんとかあのときのように日常も過ごせないだろうか。
まず朝食があり、それまでに起きて食べなければならなかった。次に、1日の行程がしっかり決まっていた。この2つを活かせば、もう少し有意義な日々を過ごせないだろうか。
しかし、何もない日に意義を見出すことも可能だろう。何もない中にも何かがあると、本当に何もないことなんてないと思う。
我々は生産性という資本主義の価値観に囚われている。しかし大多数の人間がある程度平等に暮らせるのが資本主義であるのもまた確かだ。だがその多数からこぼれた少数者がどう扱われるのか、どう見つめられるのかという……。
考えることもやりたくなくなってきた。早く死んで楽になりたい。