競争から降りる
私には、悔しいという感情がない。と、いうと流石に大げさだが、しかし、人に対して悔しいと思うことが本当に少ない。ゲームは別として。
例えば画力で負けたとしても、でも趣味に合うのは俺の絵だけだしな、としか思わない。負け犬の遠吠えと言われてしまえばそうなのかもしれないが、私は本当に悔しいとは思わないのだ。
もちろん羨ましいという気持ちはある。これほどのものを実現できたならどんなに爽快だろうか。けれどもそれ以上に、私は私の生み出したものが好きだから、他者のことはわりとどうでもいい。すごいな、それだけである。
だから、スポーツを観戦して負けたとしても、次があるさとしか思わない。実際に戦った日には、相手に対して点を取って申し訳ないとさえ思う。全力を出さないことこそスポーツにおいて無礼ということを理解していても、だ。(これは私のサービスへの呪いもあるだろう)
そういった人間なので、エリート志向の人の考えがさっぱり分からなかったので親に聞いてみれば一言、マウントが好きなんだろう、と返ってきた。
もちろんそればかりでなく、良い生活をしたいとか、そうでなければ生きる意味がないと思っている方も居るだろう。どちらにせよ、理解できない思考には、理解の外にある生活が存在しているのだ。
お前は森で、私はタタラ場で暮らそう。それがお互いにとって幸せだろう。けれど、こちらにはこちらで暮らす人と生活があり、あちらにはあちらで暮らす人と生活があることは忘れてはならないと思う。そして、その違いに貴賤はないということも。