怠惰と無益
食べることは生きること、とはよく言ったものだが、生きることそのものがダルいと食べることもダルくなる。当然のように風呂もダルいし、外に出るのもダルい。自分が嫌になってくる。
ここ最近はイラストを描くのも若干ダルい。昔のように描きたいものが思い浮かばない。久しぶりに起動したゲームも昔のように楽しめない。乾いた味の日々。
何か自分に有益なことをしようとすると、ものすごく抵抗を感じるようになってしまった。他者に有益なこと、これはできなくもないが、そもそも本当に相手にとって有益に働くかは相手でさえも分からないだろう。奉仕なんてものは自己満足でしかない。そんなことを考えるとまた手が止まる。何もできなくなる。
唯一、この文章だけが無益なものとして出力される。いや、誰かにとってはもしかすると有益なこともあるだろうが、そのときは勝手にありがたがってほしい。私にはどうでもいい。どうでもいいと思うことでしか自分を守れない。誰かのため、と思えば、きっとこの手は止まってしまう。手を止めてはならないと思っている時点で、この行為も有益なものとみなしているのだろうか。わからない。現時点では塵のようなもので、こんなものでも山になればなにか意味が生まれるような気がしている。けれど、いきなり山を築くことは難しいから、こうして塵を作っている。そんな気分だ。
何か前向きなことも書けるとは思うが、今日はそういう気持ちにはなれない。欺瞞という言葉が私の思考を邪魔してくる。欺瞞、嘘、虚構。虚構には虚構の価値がある。ならば嘘に思える前向きな言葉たちにも価値はあるだろうか。そう思えば、明日はなんとか前を向ける気がする。ただ、今日は後ろを向いていたい。
どうにもならない。ままならない。ままならないまま、生きていくしかない。いや、死ぬのを延期しているに過ぎない。気が遠くなる。